人は何かに没頭することができます。人間の意識が何かしらの対象に向かって方向づけられ、そこに集中するのです。集中して、没頭の状態に入るのです。
心身の状態が快適で、落ち着いていると、自然と目の前のこと、また、今やっていることに意識を集中させることができます。そして、その対象に集中するとともに、その体験の中に没頭するのです。その状態にダイブするのです。
その体験の中では、何か手作業をしているかもしれないし、考えを巡らせているかもしれません。そのプロセスの中で、心は静かで、その作業に集中しているのです。
きっとその作業は心地良く、快適な状態です。もしかしたら、そのことにも気付いていないかもしれません。気付かないほど没頭しているかもしれません。
人間の意識は散漫にもなりますが、一点に集中することもできて、研ぎ澄まされた意識は快適さの中の、まるで真空の中にいるような感覚です。
人間にとっては、没頭状態は1つの究極の状態かもしれません。快適さでありながらも、快適さにももはや気付いていないほどの状態です。
一日中、ずっと何かに没頭しているということはありません。没頭にはエネルギーがかかりますから、朝から晩まで没頭状態を持続することはできません。
ですが、一日のうちで、没頭状態を作り出せるなら、その時間が短いとしても、それで十分です。日々の中に、没頭する体験に身を置く時間があることは、それだけでも幸せなことかもしれません。
没頭の体験の中では、きっと時間から解放されています。
人は忙しいと、いつも時間に急かされていて、むしろ時間が無いとすら感じています。
心が忙しくなって時間が無いと感じている状態は時間という観念にむしろ束縛され、自由ではありません。
一方で、没頭の体験の中にいるときというのは、時間を感じていません。時間から解放されているのです。時間から自由になっているんです。
その意味では、快適な状態や心地良い状態があって、没頭する体験にダイブするというより、没頭する体験の中にいて、その結果快適さや心地良さがもたらされると言えるかもしれません。
意識が、自分自身をその対象に向かって集中し、そこに先鋭化し、そして、没頭状態に至る。そこでは、無限の空間と時間の中にいて、むしろそれらから解き放たれて、完全な自由の中にいるんです。
日々の中で、そのような没頭の体験が少しでもあれば、人はそれで十分幸せなのかもしれません。