毎日の事というのは、良い事ばかりではないわけです。悪い事もあって良い事もある。そして、悪い事も良い事もなく、普通の日もある。毎日というのは、その意味で、普通の日であるわけです。
ですから、何か良い事がないからと言って、その事で悲観する必要は無いわけです。特に良い事がなくても、それは、普通の事なんです。
それなのに、何故か、日々、良い事を期待してしまいます。良い気分になりたいと、無意識に期待してしまうわけです。
そして、大して良い事がないから、また、良い気分になれないから、つらくなったり、嫌な気分になったりするわけです。
実際、良い事や良い気分になる事を期待するよりも、どうせ、毎日というのは、普通の日なのですから、普通の日として、やる事をやるのが良いんです。
ただ、やる事をただやるのは、面白くありません。やるのであれば、やる事に集中した方が良いわけです。
やる事に集中して、没頭するんです。意識を対象に向けて、対象に集中するんです。
意識が散漫になるから、つらくなるんです。ですから、意識が散漫にならないように、意識を対象に集中させるんです。実は、その集中が、心地良いんです。
集中して、没頭すると、その後に、爽快感であったり、心地良さであったり、そういった快適さが得られるんです。
集中すると、何か時間を忘れて、時間が過ぎ去っていく感じになりますが、一方で、“今”に集中しているわけですから、今を濃く体験しています。むしろ、“今”を引き伸ばしたように時間としては長く感じられます。
今という時間を感じられているというのは、心が落ち着きます。そして、快適さが伴います。
ですから、むしろ、意識を対象に向けて、集中して、没頭するんです。その先に、快適さが得られるんです。
だから、良い気分に期待をしない事です。気分が良くなる事を期待して過ごさない事です。
もちろん、気分が良い事は悪くありません。ポジティブな感情は心地良いですから、それはそれでいいんです。
ですが、良い気分になる事ばかり期待していても、いつも気分は良くなるとは限りません。毎日というのは、いたって普通の日ですから。良い事もあるし、でも、悪い事もある。そして、何も無い、普通の日もたくさんあるんです。
ですから、それより、意識を対象に向けるんです。そして、対象に集中して没頭するんです。そうする事で、快適さが得られます。快適さは心地良いものです。ですから、良い気分になる事を期待するより、快適さを追求するんです。