毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

My homeとは自分のコア。好きな事であり、愛する事である。

My homeとは何か、自分のふるさとのようなものではあるわけですが、それは自分の育った場所であり、地元だったり、自分の家族だったりするわけです。

 

ですが、そのようなものが仮にあったとしても、何か人は自分のホームのようなものを求めているわけで、案外そういったものが、地元だったり、その地域的なものだったりするとは限らないわけです。

 

何か、その足りなさによって、ずっと自分のホーム、自分の故郷のようなものを追い求めるわけですが、それって実は、自分自身の不安定性さ、不安に基づいていたりするわけです。

 

また、何か自分が空洞のように感じられて、そのぽっかりと空いた空洞を何かで埋め合わせようとするものであったりして、それを自分のホーム、自分の故郷に求めるわけです。

 

で、実際、自分の故郷に戻ったり、故郷の風景に出会ったりするわけですが、それでも何か足りないと感じるわけです。

 

ですから、重要な事は、自分のコアの足りなさにみたいものによるホーム感の切望のようなものを、自分で作っていくという事です。

 

それは、アイデンティティというものにも似ているのかもしれません。

 

また、想像の共同体という概念も、それに適用できるわけです。自分の住む国家というのは、想像された国家であり、自分自身の国民意識も想像されたものに基づくわけです。

 

そのようにして、人はアイデンティティを無意識に構築しようとするし、その意味で、自分のコア、自分のホーム感、つまり、My homeを作るという事です。

 

それはきっと、自分を支えるものであり、安心感を与えてくれるものであるわけで、それは自分が好きなものであるわけです。そして、自分が愛しているものであるわけです。

 

また、好きな行為であり、実践でもあるわけで、愛する行為、愛する実践でもあるわるわけです。

 

そういった、自分の好きな事、愛する事を大切にする事です。そして、それを育て、それを作っていく事です。それが、自分のコアを作り、My homeを作るという事です。

 

何もそれは遠くにあるのではなく、自分のそばにあるはずで、大小の差はあれ、程度の差はあれ、たくさんあるはずのものです。好きな事、愛する事はたくさんあるのです。

 

そして、それらをよく知る事です。より深く認識する事です。よく知って、よく認識すれば、自ずとそれを大切にし、それを行い、そしてそれを育てていきます。

 

そうする事で、自分のコアを作り、自分のホームを作るわけです。そして、自分のコアが自分を支え、そして、My homeとなるわけです。

人は物語とともに、物語の中を生きる。

人は、物語とともに生きているのであり、物語の中を生きている。そのように思います。

 

物語とは、ストーリーであり、人の話であり、つまり、コミュニケーションという事です。言い換えると、人の話を聞くという事であり、それがコミュニケーションを通じた物語という事です。

 

映画も、ドラマも、本も、要は物語であり、そして、人とのコミュニケーションであるわけです。音楽もコミュニケーションであり、要は、人が作ったものはコミュニケーションになりうるのであり、人の話を聞くという事につながるという事です。

 

コミュニケーションは、聞く事を通して為されるものではありますが、それが、「耳で」だけではなく、「目で」でも為されるのであり、感じる事で為されるという事です。感じる事を通してコミュニケーションをして、そして、人の話を聞く。そういう事です。

 

物語というのは、人との対話であり、人の語りであり、人の創造するものでありますが、同時に人が想像したものであるわけです。そして、それを感じる事を通して、そして、コミュニケーションをする事で、その物語とともに生きる事が出来るのであり、物語の中を生きるという事だと思います。

 

物語を通して、自分の中に物語を作り上げるわけで、それは自分の中の創造する物語であるわけです。自分の中の創造する物語とは、想像する物語でもあって、自分はそれを背景として生きるのであり、その環境の中を生きるという事でもあるわけです。

 

人間の想像とは、主観的な想像であって、それは、「想像の共同体」が言うところの共同体であって、国であるわけです。国家の成立というのは、自分の中で想像された共同体の事であり、それを自分の国と想像するわけです。そして、自分自身はその国民というわけです。

 

そのような意味でも、現代では、自分の国、という想像の共同体とともに生き、想像の共同体の中を生きるわけです。

 

その意味での物語という事です。

 

ですから、余談ですが、国家というものは、自分が想像する国家であり、民族というのは自分が想像する民族であり、そして、国境に線を引く事で出来る国家は国家にはなり得ないわけです。

 

それはさておき、人は想像する物語を生きるわけです。自分の想像する物語を背景として、また、環境として、それとともに、その中を生きるわけです。それは、つまりは、人とのコミュニケーションを通してであり、感じる事を通してであり、人と話をするという事です。

 

人と話をしたいという事であって、その物語とともに、その物語の中を生きるという事です。

地域コミュニティではなく、エンタメが居場所。

自分の居場所は一体どこにあるのか。自分の終の棲家はどこなのか。そういった事について色々と考えてきたのですが、どことなく、エンタメというのがその答えなのかもしれない。そのように感じます。

 

地元を離れて随分と年月が経つわけですが、ではそこが自分の居場所と感じられるのかというと、そう簡単な事ではありません。明らかに、この場所に来たくてここに来たわけではなく、仕事の都合でここに住んでいるわけですから、今の居場所と言えば、この町この都市ではなく、会社と言った方が居場所とは言えるわけです。

 

その意味で、自分には自宅というものがありますから、今の自分の居場所と言えば、会社と自宅と言えるわけですが、ではその周辺としての町や都市はそのまま居場所と言えるかというと、そうでもない。そのように感じます。

 

昔から、地縁コミュニティ、地域コミュニティみたいなものがあったわけですが、それは今でもいろんな場所に存在しているわけで、とは言え、たまに日本のテレビでそのような風景を見てもあまりピンとこないわけです。

 

例えば、日本の地方都市のいなかや昔からあるコミュニティは、何か居場所めいている感じがあって、また、それが日本の伝統のような感じもあるわけですが、もちろんそれは素晴らしいとも実感しますが、だからと言って、それが自分も同じくそのような居場所的なものを抱いているかと言うと、そうとは感じないわけです。

 

今思うと、例えば、子供の頃の漫画とかゲームは、ひょっとすると、自分の居場所感があったりするわけです。それらを居場所というのは、ちょっと違う感じがありますが、自分にとっての馴染みある環境の役割を果たしていた感じはするわけです。

 

また、日本の音楽にはそれほど子供の頃から関心はありませんでしたが、アメリカの音楽は好きで、べたなところだと、マイケル・ジャクソンなどは好きだし、その意味でアメリカ音楽にはとても馴染みを感じます。

 

そういう意味では、音楽に限らず、映画が好きで特に洋楽はいっぱい観てきましたし、今でもよく観ますし、最近だと海外ドラマをしょっちゅう観ているわけです。それらは、ずっと自分のそばにあったし、自分の環境であったし、その意味で居場所と言えるような気がします。

 

アメリカに一時期住んでいた時、住んでいた街には映画館がありましたが、毎週末観に行っていました。日本と比べて値段も安いし、アメリカにとって映画は日本にとっての映画に比べて、より意味がありより身近で、よりアイデンティティを支えているものだと思います。

 

アメリカは、エンタメ大国であるわけですが、日本はアメリカのそのようなカルチャーを取り入れ、後追いしてきたと言えるわけです。

 

自分は明らかにそのような時代に育ってきたわけで、居場所という意味では、土地としての地域コミュニティではなく、文化としてのエンタメ、とりわけアメリカを中心とするエンタメにあるように感じるわけです。

 

もし、自分の住んでいる街に映画館があったら、おそらく毎週通ってもいいかなと思います。

自分が本当に望んでいる事を知る。

日々忙し過ぎると、自分が何を本当に望んでいるのか、分からなくなってしまう。そして、色んな事が嫌になってしまう。とても勿体ない事です。

 

色んな事が嫌になって、あの人が嫌、会社が嫌、仕事が嫌、世の中が嫌、になり過ぎたら、嫌じゃない事もたくさんあるのに、嫌な事ばかりと思い込んで、勿体ない事になってしまいます。つらく苦しいばかりになって、とても勿体ないです。良い事もたくさんあるんです。望んでいることだって、いっぱいあるかもしれないんです。

 

確かに嫌な事はあるかもしれません。仕事でも、嫌な要素はいっぱいあるわけです。ですが、同じ数だけ、好きな要素もあり得ます。嫌の事に注意し過ぎて、また、嫌な事ばかりに反応してばかりいると、せっかく良い事もたくさんあるのに、全然気づきません。

 

そして、会社が嫌になるんです。勿体ない事です。

 

よく考えてみると、良い要素もいっぱいあるんです。良い事もいっぱい起こっているんです。望んでいる事もたくさんあって、仕事でそれでちゃんと経験できていたりもするんです。

 

ですが、嫌な事に反応し過ぎて、それでストレスがいっぱいになって、会社は嫌なところになってしまうんです。

 

ですから、そうではなく、感情に振り回されないようにするべきです。不安でいっぱいになっていると、容易に感情が反応して、嫌な事でいっぱいになるんです。

 

心を落ち着かせて、感情をある意味コントロールできるようになると、また、感情をマネジメントできるようになると、感情が変化しても、それに振り回されずに済みます。

 

そして、ちゃんと自分が何を望んでいるのか。知っておくことです。仕事で自分が本当に何を望んでいるのか、分かっていると、小さな事に振り回されないようになります。

 

また、自分にとって大きい事と小さい事の区別もちゃんとつくようになります。

 

それはつまり、自分の中で、優先順位がちゃんとついているという事です。本当に望んでいる事が何で、そうでもない事は何なのか、分かるようになるという事です。

 

自分が本当に望んでいる事の優先順位がちゃんとついているというのは、ちゃんと心の整理が出来ているという事です。優先順位の高い事は当然大事な事で、優先順位の低い事はどうでもいい事なわけです。そのような整理がちゃんとついているという事が大事なわけです。

 

その為にも、自分が本当に望んでいる事は何なのか。知っておくことは大事です。確かに時間はかかるかもしれません。ですが、しっかりそれは何なのか、知っておくようにすると、心の整理がついて、嫌な事も減って、好きな事や良い事がいっぱいになります。

感情知性を高める事が大事。

人は考える生き物でありますが、感じる生き物でもあります。どちらも人にとって重要ですが、感じる事はとても重要です。感じること無しに人間は生きる事が出来ません。

 

一体自分は体験した事をどのように感じているのか。そのような事のフィードバックはとても大事です。様々な体験をして、その体験を通じて何かを感じる。そのフィードバック無くして、生きていくのはとても困難です。生きた心地がしません。

 

人間は感じる生き物ですが、考えるという意味では、感じる事も考える事の一部と言えます。感じた事をいかに思考に活かすか。それ無しに生きていくのは難しい事です。いわゆる、感情知性が大事、という事です。

 

考えるという意味では、人は知恵を使って、様々な事を問題解決します。問題解決力は、人間が生きていく事を可能にしているわけですが、問題解決するにも、感情は重要です。

 

感情は人間が感じるリアルですが、特に自分の事に関しては感情を頼りにして生きていく事が重要です。感情はネガティブである事を訴えているのに、感情に反して何かをしようとすると、つらくなります。苦しくなります。人は感情に対して嘘が付けません。感情に従わないと生きる事が心身ともに困難になります。

 

ですから、人が生きていく為には、感情を自分の指針にして生きていかざるを得ません。感情を道しるべにして、それで色んな事を決めていくんです。自分が進んでいく道を決めていくんです。

 

何かを自分が決めて進んでいくのに、感情抜きにしてやる事は出来ません。感情は自分のコアです。

 

そして、感情を常にちゃんとフィードバックするには、冷静でないといけません。心が落ち着いていないと、自分の感情を正しく認識する事が出来ません。

 

自分が今どのように感じているのか。自分がこの体験を通して何を感じているのか。しっかりフィードバックする事が大切です。その為には、心は落ち着いている必要があるのです。

 

忙し過ぎて、余裕が無いのはいけません。それでは感情をフィードバックする事が出来ません。疲れすぎているのもよくありません。疲れ過ぎていると、感じる余裕すらありません。ですから、心も整っている必要があるし、身体も整っている必要があります。そういった事が整ってきたら、自ずと感情知性が高まってくるわけです。

 

人生、焦ってはいけません。急いでもいけません。そして、疲れすぎていてもいけません。心身を十分よい状態にして、心を落ち着かせて、そして、今感じている事をしっかりフィードバックするんです。そのようにして、感情知性を高めるんです。

今目の前の事を1つ片付ける。

基本的には、1つ片付いたら良いんです。1日に1つやったらいいんです。時間は関係ないですから、とりあえず目の前にある事を1つやったらいいんです。

 

何かやる事がいっぱいあるような気がする。そういう事ってあると思います。やらないといけないんだけど、まだやっていない事っていっぱいあると思います。ですが、それらを全部やらなくていいんです。全部やろうとしなくていいんです。

 

1つやったらいいんです。1つ片付けたらいいんです。そうすれば、結果的に1つずつ片付けていく事になるんです。

 

そこで問題になるのが時間です。時間が足りないから、1つずつやっていても間に合わない。そう思ってしまいます。

 

ですが、時間が足りないという状態が、すでに何か心が追い込まれてしまっているんです。そもそもやらないといけないたくさんの事を、1日で終わらなければならない事は無いんです。もし1日で終わらせなければならないとしたら、それは見積もりが間違っています。たいてい、重要な事は1日に1つ片付けたらそれで十分なんです。

 

場合によっては、やらないといけないと囚われて抱えてしまっている事を、断捨離したらいいんです。それは本当に全部やらないといけない事なのか。その事に気付いて、そんなに重要ではない事はやるべきリストから除外したらいいんです。案外出来るものです。

 

そして、きっと心が逸っているわけですから、また、焦っているわけですから、時間が無いと感じてしまっています。実際は時間はたくさんあるんです。たっぷりあるんです。だから、問題なのは、時間が無い事ではなく、時間が無いと感じていることです。

 

ですから、焦っている状態をどう静めるか。そっちの方が大切です。上手く心を静める事が出来たら、時間はたくさんあるように感じます。

 

そして、時間をたっぷり使って、今目の前にある事に1つ手を付けて、1つ片付けたらいいんです。1つ片付けるだけで、随分と状況は変わります。自分の「今」の状況ががらっと変わります。

 

さっきまで、たくさんやらないといけないと追われていたのが、今1つ片付けるだけで、途端に状況が変わるわけです。ですから、まずは1つ、今目の前にある事を1つ、片付けたらいいんです。

 

そのようにして、今目の前にある事を、1つずつやって片付けて、それが1日かかったって問題ないんです。1日1つで十分なんです。1つずつ、時間をかけて、丁寧に取り扱ったらいいんです。1つの事に集中するうちに、今目の前にある事が1つ片付きます。

高いパフォーマンスを発揮するには、身体と心の落ち着きが大事。

身体の状態が整っている事が何より大事です。身体が疲れ果てていると、どのようにも良い感じになりません。

 

睡眠不足だとしたら、パフォーマンスが高くなるはずがありません。いくら頑張ったって頭が回りませんから、すぐに疲れてしまいます。ですから、まずはしっかり寝る事が大切です。

 

その意味で、身体の疲れを取る事は身体の落ち着きにつながります。身体の落ち着いた状態はとても重要です。その為にも、まずはしっかり寝るという事です。

 

それだけではなく、身体が疲れている事も良くありません。身体が疲れていると、自律神経も疲れます。温度や湿度、気圧の影響もよく受けるし、発汗機能や温度調整機能にも影響を与えます。身体を微調整する機能が下がっていると、すぐに身体の不快を感じます。場合によっては頭痛にもなります。その意味でも、身体の状態は整っている事が大切です。

 

身体が落ち着いてくると、心も落ち着いてきます。心の落ち着きはとても重要です。心の落ち着きこそが、パフォーマンスを上げる基本です。

 

心の落ち着きを感じられると、時間をたっぷりと使う事が出来ます。心の落ち着きが無いと、時間が十分にあると感じられません。いつも時間が無く、焦っており、余裕がありません。そのような状態は、パフォーマンスを低くします。当然身体の状態も整っていませんから、すぐに疲れます。

 

心を落ち着かせる事で、時間をたっぷりと使い、ゆっくり考えるんです。ゆっくり考えて、でも、考える事には集中するんです。心が落ち着いていれば、考える事に集中できます。思考の持続力も上がります。

 

時間は十分にあるわけですから、余裕を持って、色んな事に考えを巡らせることが出来ます。ゆっくり考える事で、考えている事も容易に整理できて、快適に決められます。そのような意味で、心の落ち着きはとても大事です。

 

このような状態も、身体の状態が整っていてはじめて到達できます。身体が疲れていては、どうしてもそのような状態には持っていけません。

 

そのような、パフォーマンスの低い状態である事に気が付いたなら、その状態でそのまま頑張らずに、さっさと諦めて休む事が大事です。心身が落ち着いていない状態では、いくら頑張っても、パフォーマンスは低いままです。

 

ですから、身体も心も、まずは落ち着いた状態にする事が基本です。そうする事で、十分に時間を使う事ができるようになり、高いパフォーマンスを発揮できます。本来は、そのようにするべきです。