毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

今日も「イイ感じ」を確認する習慣。自分らしい目標を設定する。

人は気が付いたら、ネガティブな事に囚われてしまいます。人間の性質上、自然な事です。ですが、この人間の自然に任せていると、すぐにメンタルはネガティブになって、心も身体も疲れてしまいます。ですから、意識的に、自分で、ポジティブに持っていく必要があります。

 

そういう意味で、日々、習慣として、今の自分はイイ感じだという事を確認する事が大切です。どんな時でも、イイ感じの部分はあるはずなので、そういう部分をちゃんと常に認識するという事です。これで実際に気分も上がります。自己肯定感も得られます。

 

そもそも、自分自身の設定が高いところにあると、常に自分自身の今の状態はその設定には足りないわけですから、常に欠落を感じる事になります。それでは、いつもしんどく感じます。

 

というより、高い設定にしておく事自体が、今の自分に合っていないのかもしれません。高い目標を持って、それに向かって常に頑張るという姿勢は悪いとは言い切れませんが、無意識に高い目標にしてしまっていて、それで足りない自分を常に感じで苦しんでいるようだったら、それは、その無意識の高い目標の設定は変えた方が良いわけです。

 

また、周りの事ばかり気にして、そして、評価ばかり気にして、目標の設定とか、自分の基準とかを、高いところに勝手に決めてしまっているとしたら、それも良くないかもしれません。

 

それだと、常に自分は足りていないし、常に自分はダメな状態に感じてしまいます。そして、ずっと自己肯定感は低いままです。

 

その意味で、無理して自分の設定を高くせずに、今の自分に合った、適切な目標なり基準なりを設定すべきです。

 

そして、ちょうど良い設定が出来ていたなら、今の状態はだいたいイイ感じなはずです。

 

だから、むしろ、いつもイイ感じに感じられるくらいである方が望ましいわけです。イイ感じに感じられるくらいの目標設定になっているべきだし、基準は周りの基準に合わせておくべきではないんです。

 

なので、いつも自分はイイ感じであるという事を意識して、そして、イイ感じである事を確認する事が大切です。イイ感じに感じられているなら、自分の目標をそれに合わせてちょうど良い目標に設定されているはずです。

 

ちょうど良い目標の設定は、今の自分の位置と目標の位置のギャップが適度なギャップになっているという事です。そういう目標は、謙虚な意味でも、ちょうど良く今の自分が頑張って到達できる、実現可能な目標になっているという事です。

 

ですので、つねにイイ感じである事を確認するべきです。それを毎日の習慣にするべきです。そうする事で、目標も自分にとって適した目標になります。つまり、自分らしい目標になるわけです。

毎朝「自分の事が大好き」、「自分の行き先」を確認する。

「自分の事が大好き」という観念は自分を強くします。自分を安定にします。ですから、そのような事を日々の実践にしていく事は大切です。

 

人は日々の中で、知らず知らずのうちに自分の事が好きではなくなっています。自己否定感に包まれていたりします。

 

周りに人がたくさんいますし、情報もたくさんあります。それらに囚われ、それらに振り回されて、気が付いたら、ダメな自分でいっぱいという気持ちになっています。

 

ですから、かなり意識的に、自分を肯定する仕組みを作る事が大切です。

 

毎日、そして、毎朝、自分の事が大好きであるという事を、自分で自分に確認するんです。好きかどうかわからなくなっているかもしれませんが、それでも毎朝確認するんです。言い聞かせるんです。

 

昨日、自分の事は大好きであるという事を確認したから、今日はしなくてよい。そんな事ではいけません。昨日も確認したかもしれませんが、今日も確認するんです。そして、明日も確認するんです。

 

人は忘れっぽい生き物ですから、そういう事は毎日やらないとすぐに忘れてしまいます。

 

自分を上手く推進していく為に、毎朝、自分は今の自分でいいんだと確認し、そして、自分は今の自分でやっていくんだと唱えるんです。

 

それは、自分が自分自身である為の信念です。自分が自分自身で力強く生きていくために必要な信念なわけです。

 

いつだって自分は今の自分だし、今の自分で前進していくんです。今の自分で、自分をドリブンしていくんです。

 

言い方を変えると、自分で、自分自身を運転していくんです。自分で、自分という車を運転するんです。心地良く、力強く、安定的に、前に進んでいくんです。進むべき道を進んでいくんです。

 

そして、自分で自分の行き先を決めて、その行き先に向かって、自分という車を運転するんです。

 

自分の行き先は、毎朝確認するべきだし、自分という車は今日も十分であり、今日も心地良いという事を毎朝確認するんです。

 

だから、いつだって、自分の行き先については考えているべきだし、定めようとするべきだし、決めておくべきです。例え修正する事があっても、修正した行き先に向かって自分を進めていくんです。そういった事を、毎朝確認するんです。

 

ですから、自分の事が大好きという事は、毎朝ちゃんと確認する事が大切です。そして、自分の行き先は自分で決めて、その行き先も自分は大好きだし、そして、その行き先に向かって進んでいく事を毎朝確認するんです。

「自分の事が大好き」からはじめる

自分を肯定できずにいる時は、「自分の事が大好き」という事をスタート地点にして、それを基礎にして、物事を考えるようにするのが良いと思います。

 

逆に言うと、「自分の事が大嫌い」という状態に自分の心理状態を持っていくと、精神はすぐつらくなります。間違いなく苦しくなります。

 

承認欲求のようなものも、その表れと言えるかもしれません。人から認められたい。会社から評価されたい。そのような事に囚われると、自分以外の何かに、今の自分を適応させようとしてしまいます。

 

それは、言い方を変えると、今の自分は良くなくて、周りからの評価に適う事が良い事なわけだから、それは、今の否定されている自分を変更して、自分を肯定される状態にさせようとする事になります。

 

だから、承認欲求にまみれると、結果的に、今の自分を否定する事につながるわけです。それは辛く苦しい事です。

 

自分を否定する状態というのは、自分の事が大嫌いの状態と似ているわけで、その意味で、自分の事が大嫌いという状態を、自分の基礎に置いて、もしくは、自分の中心に置いていては良くないわけです。

 

そうでなくて、自分を肯定する状態、つまり、自分の事が大好きな状態を自分の中心に置く事で、上手く自分を安定的に進められるわけです。

 

だから、どんな時であれ、「自分の事が大好き」という事を意識する事が大切です。

 

つらいと感じた時、苦しいと感じた時、また、自分はダメだと否定的な気持ちになった時、意識的に、「自分の事が大好き」という事を思い出して、また、その事を確認する事が大事です。

 

そして、今の自分が好きであるとか、今の自分で良いんだとか、今の自分は良い感じだとか、そういう風に自分に言い聞かせてあげるくらいでいいと思います。

 

人はすぐに、自分に対して否定的になります。自分以外の周りの事を気にしてしまうから、それは当たり前の事でもあります。

 

人はすぐに、何かに囚われますから、結果的に、それは自分以外であって、自分をないがしろにしてしまいがちです。そして、周りの事を気にするあまり、自分を周りに応えさせるように自ら仕向けてしまうわけです。それでは、自己否定的な気分でいっぱいになって、苦しくなって、疲弊してしまいます。

 

ですから、そうではなく、「自分の事が大好き」から始める事が大事です。自分の事が大好きで、今の自分はそれで良くて、今の自分はとても良い感じなわけです。それでいいんです。むしろ、それでなくてはなりません。そうであってはじめて、力強く生きていけます。

元気のいい人は自分の事が大好き。

別に、ナルシストである事が良いと言っているわけではありません。ですが、自分の事が大好きというのは、良い事だと思います。きっと元気でいられます。

 

あんまり元気が出ないというのは、実は自分の事がそんなに好きではないと思ってしまっている事も関係しているかもしれません。

 

自分ではそんなに気付いていませんが、思っているより、自分の事を好きと思っていないかもしれません。もしくは、自分の事を好きと思う事をいけないと思ってしまっているかもしれません。

 

無意識に、自分の事を好きになる事を否定してしまっているかもしれません。謙虚さを超えて、勝手に自己否定の癖がついているかもしれません。

 

ですから、もっと意識的に、自分の事を好きになって良いんです。

 

というより、自分の事をもっと積極的に好きになる意識が必要かもしれません。ただでさえ、自分の事を好きだと思う事を否定してしまっているかもしれないわけですから。

 

そもそも、自分の事をどのように好きになってよいかも、分かっていないかもしれません。

 

ですから、まずは、自分をもっと大事にするべきです。そして、自分をもっと見てあげるべきです。自分で自分を認めてあげるべきです。

 

また、自分の良いところをもっと見るべきです。自分の愛すべきところをもっと発見してあげるべきです。

 

自分自身は、自分が思っている以上に頑張っているかもしれません。そんな、頑張っている自分をもっと褒めてあげてもいいんです。尻を叩いてもっと頑張らせようとしなくていいんです。

 

そして、自分自身は、自分が思っている以上に、日々進歩しているかもしれません。前進しているかもしれません。「自分はちっとも前に進んでいない」と勝手に過小評価せずに、もっと客観的に自分を見てあげるべきです。案外、自分は前に進んでいます。

 

実は自分は自分が好きな要素をたくさん兼ね備えているかもしれません。ですが、あまりに自分を見ない癖がつき過ぎていて、もしくは、自分を悪く見る癖がつき過ぎていて、自分の持っている好きな要素を、完全に見落としてしまっているかもしれません。

 

それは勿体ない事です。もっと、自分を好きになって良いし、応援したっていいんです。

 

自分をもっと好きになって、もっと大好きになれば、きっと元気が出てきます。元気な人は、自分の事が大好きです。ですから、そんな事に躊躇せずに、無駄に謙虚にならずに、また、自己否定し過ぎずに、自分をもっと好きになっていいんです。

不安の吐き出しをして、深く疲れている事を自覚する。

不安は、意外と気付きません。無意識下では不安を抱いているのですが、その事に気付かずしばらく過ごしてしまいます。そして、知らず知らずのうちに疲れています。

 

疲れている時は休むに限るわけですが、それでも、何か前に進めない時があります。それは、不安を抱えているという事に気が付いていないからです。

 

なので、休んでも疲れが取れない時は、不安を抱えているのではないかと疑ってみるのが良いと思います。

 

よく考えてみたら、案外気付きます。言葉にしていなかっただけで、不安は抱えています。ですから、時間を作って、不安を吐き出してみるのが良いと思います。

 

言葉にしてみる。人生の不安、仕事の不安、家族の不安。色々あると思います。具体的な事も案外出てくると思います。

 

文字に起こしていくと、確かにそういう不安を抱えていた、という事に気付きます。

 

そして、日々そのような不安を抱えて過ごしている自分に気付きます。案外自分はそんな不安を抱えながら毎日を独りで送っているわけで、客観的にでも気づくわけです。

 

ですから、そんな自分をたまには褒めてあげるべきです。頑張っている自分を認めてあげるべきです。

 

そして、頑張り過ぎている自分に、少し休んでよいと声をかけてあげるべきです。また、自分を優しく見守ってあげるべきです。

 

きっと1つや2つではありません。たくさん抱えています。大きな不安もあれば、小さい不安もあります。案外少なくありません。そんな状態では、疲れるに決まっています。

 

そのようにして、不安をいくつも抱えている事に気付くと、心底休んだ方が良いという事に気付けます。深く気付けます。何となくでは、やっぱり休めません。深く休む事が必要なんだという事を自覚する事です。

 

今頑張っている事、継続している事を、少し力を抜いてみる事です。不安に苛まれながら必死に掴んでいるかもしれません。ですから、その手を少し緩めて、とりあえずは、気軽にやっていく事です。無理せず、無意識に自分の尻を叩かない事です。もう十分、ぎりぎりのラインで頑張っていますから。

 

そのようにしてはじめて、深く休む事が出来ます。

 

その為にも、不安を抱えている事に気付くべきです。そして、不安について吐出しをしてみるべきです。時間をかけて吐き出してみるべきです。きっとたくさん出てきます。抱えきれないほど出てきます。

 

そうする事でようやく、深く、休んだ方が良いという事を認識できます。大事な事です。

ディストラクトを無くすことで、自ずとやりたい事に集中する。

人はやりたい事に集中したいわけですが、なかなか集中できないわけです。コミットできないわけです。それは何故か。

 

それは、いつも何かにディストラクトされているからです。

 

頭の中、もしくは、心が、何かディストラクトされていて、いつも散漫で、やりたい事、やるべき事に集中できないわけです。

 

ですから、いかに、ディストラクトされている状態を無くすか。そういう事が大事です。

 

仏教で言う、煩悩にも似ています。いつも人は何かを煩い悩んでいます。何かに囚われて、ずっとその事を考え、その考えもある意味無為に展開して、そして、何か考えがまとまるでもなく、ただ煩い悩む。無駄な時間です。そして、頭は疲弊してしまいます。精神も乱れ、疲れ果ててしまいます。その結果、何にも手が付かないわけです。

 

まさに、ディストラクトされている状態です。囚われなくてもいい事に囚われて、ずっと頭は乱されているわけです。気分が良くないわけで、ネガティブな感情で、精神もまいってしまっているわけです。

 

こんな状態では、何をやるにも、パフォーマンスなんて上がりません。

 

ですから、いかに、このディストラクトされた状態を無くすか。とても大事な事です。

 

身体が疲れているかもしれません。

 

睡眠不足かもしれません。しっかり眠れていないから、その結果ディストラクトしているのかもしれません。

 

不安や恐れを、心の内に抱いているのかもしれません。自分で意識的に気付いていないですが、無意識下で、不安や恐れを感じているかもしれません。

 

それが心を縛っていて、頭を悩ませていて、そして、ディストラクトされてしまっているのかもしれません。

 

ですから、自分の無意識下の不安や恐れを、ちゃんと認識して、そして、理解する事です。自分が何に不安や恐れを抱いているかを。

 

それらが整理されてくると、自ずと不安や恐れは軽減し、ディストラクトされた状態が無くなるかもしれません。

 

睡眠不足も、ちゃんと対処すれば、自然とディストラクトが改善されるかもしれません。

 

自分がやりたい事は、ディストラクトされた状態を無くすことによって、自然で現れてきます。強く意識しなくても、知らず知らずのうちに浮上してきます。やりたい事というのはそういうものです。強い根拠はありません。ただ、何となくやりたいんです。

 

そういう事は、ディストラクトされた状態が解放されれば、自然と出てきます。

 

ですから、まずは、自分がディストラクトされている事を無くすことです。そうする事で、自ずとやりたい事に集中できます。

自分で自分自身を保つ事がとても大事。

自分で、自分を保つという事がとても大事だと思うわけですが、一方でこれは確かに難しい事です。人間は決して独りでは生きていけませんし、互いに、みんなで支え合わなければ生きていく事など出来ないわけです。

 

だから、社会はみんなで支え合うような方向に形作られてきたわけです。ただ一人で生きている人は実質いないわけで、何らかの形で誰かと関りながら生きているわけです。

 

とは言え、人が生きる時に、人に支えてもらう事を前提にして生きていこうとするのもそれはそれで問題になります。人は一人の人間として生まれてきて、そして、一人の人間として死んでいくわけです。いかようにも、人間は一人の個体なわけです。

 

生きるという事に対して、人間は独りである事を突き付けられるわけです。

 

自分が生きていこうとするとき、色んな人の話を聞いて、それらを参考にする事はできますが、ですが、そのようにして生きる事を決める時、それを決めるのは自分なわけです。自分以外の人に決めてもらおうとしても、やっぱり最終的には自分独りで決めないといけないわけです。

 

自分の命は、自分以外の誰でもなく、自分自身が預かっているわけです。その命をどうするか、決めるのは自分です。責任を持つのも自分です。いかようにしても、自分の命をどうするかは自分で決めるしかないんです。

 

そのように捉えた時、やはり、自分を自分自身で保つという事を、自分で引き受けなければなりません。事実、物理的には他の誰かに頼らなければならないですが、とは言え、前提としては、自分でどうにかするという事は忘れてはいけません。

 

確かに、苦しい時、誰かに助けてもらいたいわけです。そして、誰かに助けてもらわなければならないわけです。ですが、その苦しさを、やはり自分自身で責任を持って引き受けなければなりません。他の誰かに引き受けてもらう事は出来ません。そして、その苦しみを、自分自身でハンドルしていく覚悟を持たなければなりません。

 

苦しみを感じるのは、他の誰でもなく、紛れもなく自分なわけですから。

 

繰り返しですが、人は自分独りだけでは生きていけません。他の誰かを必ず必要とします。その意味では、とても弱い生き物です。

 

ですが、それでも、自分は自分自身で生きていく、自分自身の事は自分で保つ。その心意気は必要なわけです。自分の命は自分自身のものでしかないわけですから。人間とはいかようにも、そのように生きていかなければならないわけです。