毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

望んでいる変化を明確にすることで、自分自身は変化していく。

確かに、何かを新たに始めなければ、何も変わりません。昨日と同じことを今日もしていたら、きっと何も変わりません。

 

その意味では、何かを一部でも変えれば何かは変わるはずです。変化したことに自分が気付くかどうかはわかりませんが、何かは変わっているはずです。

 

そもそも、自分の周りは常に変化し続けているわけですから、自分自身も変化していないわけはありません。

 

自分が望んでいるように変化しているかどうかは分かりませんが、少なくとも何かは変化しているはずです。

 

そういう意味では、何か新しいことを始めなくても、本当は何かが変わっているはずです。ですが、自分がそのことを認識できていなければ、変わっていることにまったく気づかないかもしれません。

 

何か変化を望む気持ちがあるということは、目に見える形で変化していくことを望んでいるのです。

 

昨日と今日は、きっと何かが変わっているはずですが、自分自身が昨日と同じことをしているなら、その変化には気づかないかもしれません。

 

変化したいということは、やはり、どのように変化していきたいのかを明確にしないといけません。

 

ただ変わっていくというだけでは不十分で、明確に、自分が期待しているように変化していくことを求めているのです。

 

ですから、一体自分はどのように変化していきたいのか、それをはっきりとさせないといけません。そうしないと、いくら変化しても認識できないし、納得できないし、満足できません。

 

どのような変化を望んでいるのか。それが明確になると、その変化のために何をすればいいのか。そのことを考えることができます。

 

そして、それを実践することではじめて、自分自身が変わっていきます。変わっていくことを認識できます。

 

単にいつもと違うことをすれば十分ではなくて、望んでいる変化につながることのために新しく違うことをすることが大切なのです。

 

しばらくすれば、変化していく自分に気付くはずです。望んでいる変化という指標があるわけですから、それに基づいて自分の状態を見れば、自分が変化しているかどうかは分かるはずです。

 

望んでいる変化があいまいだと、変化していることに気付けません。その意味で、望んでいる変化を明確にすることが重要なのです。

 

変わりたいというのは、より厳密に言うと、自分が望んでいるように変わりたいということですから、まずはどのように変わりたいのか。そのことを明確にすることです。それが分かれば、変わることができます。

自分を変えたい。実現したい未来のために何をするか。

人は、未来に向かって自分を変えていくために、何とかしたい、どうにかしたいと考えています。

 

ですが、何かをしたらいいかわからず、気が付いたら何も変わっていなくて愕然とします。

 

自分を変えていきたいのに、いつも自分は同じような感じで、同じように過ごしているわけです。

 

実際にはよく見ると少しずつ変化しているのですが、いつも自分がどのような状態で、そして、どのように変化しているのかを確認していないので、ただ自分が変化していることに気付いていないだけ、ということもあります。

 

そもそも、未来に向かってどのように変化したいのか、あるいは、未来にどうなりたいのか、未来に何を実現したいのか、そのようなことが明確になっていないと、その未来の時点に到達したときに、自分はそのように変わったのか、何が実現したのか、何も分かりません。

 

ですから、まずは、未来に自分はどうなりたくて、また、何を実現したいのか、このことについて考える必要があります。

 

そのことが明確になってはじめて、今からそれに向かって何をするか、何を備えればいいか、を考えることができます。

 

また、その前に、実現したい未来の状態に対して今の状態はどのようであるのか、どの程度のギャップがあるのか、それを把握する必要があります。

 

それが分かると、実現したい未来に対して、何が足りなくて、何ができるのか、何をしないといけないのか、そういったことを考えることができるわけです。

 

自分が実践し、行動することが決まれば、日々の実践に落とし込むことができます。

 

実現したい未来は実際には容易には現実のものにはならないかもしれません。ですが、重要なことは、それに向かって確かに物事が進んでいて、自分自身もそれに伴って変化していることです。

 

自分が変わっていくことが分かるということです。

 

実現したい未来に向かって少しでも進んでいると分かれば、きっと満足するし、安心すると思います。

 

実現したい未来が、真に現実のものになるかどうかは、実際には分かりません。ですが、人はそれに向かって考え、行動し、進んでいくということが大切なのです。

 

そして、実現できなくてもいいのです。少しでも自分を変え、進んでいるのなら、また、そのとき立ち止まって、未来について考えたらいいのです。

 

別に実現したい未来はひとつである必要はないし、全てが実現する必要もないのです。そして、いつでも、実現したい未来について考えることはできるし、書き換えることだってできます。

 

大切なことは、自分がそれらに向かって考え、進んでいくということです。

今とは何か。過去から今に至るまでの結果。

時間は常に流れています。人はその時間の流れの中にいます。時間の流れの中を生きています。

 

時間は、川の流れのように流れ続けていて、人も生き物も、ありとあらゆるものがその流れの中にいるのです。

 

時の流れに身を任せて、行きつく先まで行ってみることもできます。一方で、その流れに抗って進路を変えることだってできます。

 

いずれにしても、高いところから低いところへ、流れていく方向は基本的に同じです。

 

人は時の流れの中にいながら、常に「今」という時間にいます。

 

これから先、どのような未来になっているかは常に分からず、未来を予測しながらも予測通りになるかどうかは、その未来が「今」になってみないと決して分かりません。

 

一方で、過去のある時点から今に至るまでの時間に何が起こり、そして、今どのようになったかは分かります。

 

未来は分からなくても、今は分かるわけです。

 

時の流れの中においては、確かなのは、今から未来の間での結果ではなく、過去から今に至るまでの結果だということです。

 

今の時点において、今の時点から未来のある時点の間で起こること、その間での変化や違いは分かりませんが、過去のある時点から今の時点の間に起こったこと、つまり、その間での変化や違いは分かるということです。

 

ですから、常に流れ続けている時間の中では、過去から今に至るまでを振り返ることで、確かな変化や違いを確認することができるということです。

 

だから、この先の未来にどのようになるのか、を考える場合、今がどのような状況かがちゃんと把握できてなければ、その未来がやってきたとしても、どのようになったかどうか、その結果は確認できないのです。

 

わたしたち人間が、確実に確認できることは、過去のある時点から今に至る変化であり、違いであり、結果です。

 

それが分かっていると、今の状態が時の流れとともに未来に到達したとき、同じように振り返ることで、その時の結果や変化が分かるのです。

 

だからわたしたちは、常に過去を振り返って今に至るまでの結果を確認しなければなりません。今しか生きられないわたしたちは、時間の流れの中ではそのようにでしか時間を捉えることができないのです。

 

そして、そのようにして時間をとらえることができるようになると、未来に対しても、未来のある時点へと自分を導くことができます。確実でないとしても、自分が予測し、そのような未来が実現するように、今からどうするか、考え、備え、行動することができるようになるのです。

人はいつだって今を生きている。

​人は主観的な生き物で、いつも「今」を生きています。


​時間が絶え間なく流れる中で、「今」を生きているのです。


​そして、今こうして過ごしながら、未来のことについても考えています。


​未来はいつだって未来のままで、今からの延長線上の先のことでありながらも、今この瞬間には決してやってこないにもかかわらず、未来のことが心配で不安であるわけです。


​そして、不安や心配な未来がやってこないように、今を過ごそうとするわけです。このままだと未来は不安だから、そうならないように、今何かをしようとするわけです。


​ですが、今何をしても、未来は未来であるがゆえに、不安な未来を回避できたのかどうか、決して分かりません。


​だから、未来のことを憂いながら今を過ごしても苦しいばかりです。


​人は、今を生きるしかなく、未来はただ想像することしかないのです。


​それよりも、未来では、自分はどのようでありたいのか、どのように過ごしたいのか、希望的に考えるほうが良いわけです。


​今はそのようでなくても、問題ありません。想定する未来と、今の状況にギャップがあっても、そのギャップをどのようにしたら埋められるのか、具体的に考えることができます。


​そして、そのギャップを埋めるためには、今何ができるのか、今から何をしていけばいいのか、そういったことを考えることができます。


​何をすればいいかが定まれば、実際に今、何をやって、どのように過ごすかが決まります。


​人は、今しか生きられないわけですが、想定した未来に向かって、今を何をし、どのように過ごすかを変えることができます。


​その意味で、人は、どのような未来を描き、そして、今どのように生き、どのように過ごすか、という形で、未来と今を生きることができるわけです。
​私たち人間にとって、未来と今はそのように想定することで、時間軸における未来に向かうベクトルをもって生きていくことができるのです。


​今しか生きられない人間にとって、未来は決して今体験することはできないですが、今の時点から過去を振り返ることはできて、その時に想定した未来は、今現実のものになっているのかどうか確認することはできます。


​そして、大抵の場合、過去に想定した未来は、今現実のものとはなっていないわけですが、それでも、当時の状況とは今は変わっているわけです。


​想定通りではないとしても、当時の状況から軌跡を変え、未来に向かって確かに歩んできたことを確認できるわけです。


​人はそのようにして、未来と過去の間で、いつだって今を生きているのです。

人は不確実な世界を生きている。

この世界は不確実でギャンブル的な世界。私たちはそのような世界に、私たち自身の意思に関係なく放り投げられています。

 

そもそも、人間がまだ存在しなかった古来の時代でも、世界は不確実であったわけで、現在の世界はその連続性の上に立っています。そして、私たち人間は、ますますこの世界を不確実な、ギャンブル的な世界にしているのです。

 

人間の認知の性質上、「今」しか見えないですから、これから先のことは分かりません。だから、常にこれから先のことについて未知であり、どうなるか分からない世界であり、不確実な未来を抱えているのです。

 

そして、「今」を生きているからといって、未来のことが関係ないわけでありません。未来に対しては、備えることが可能です。

 

未来は、単に未知であるだけでなく、危険が潜んでいて、安全ではなく、自分の身に何が降りかかるか分からない何かが潜んでいます。

 

ですから、それらに備えるか備えないかは大きな違いであり、ほとんどの場合、人は未来に備えるのです。

 

ですが、未来は未知ですから何が起こるかが今の時点で決して分かりません。ですから、予測をしてそれに備えるのです。

 

予測は外れるかもしれないし、当たるかもしれません。ただ、いずれにしても、予測をして備えていた方が生存確率は上がるのです。

 

そのようにして私たちはみな、この不確実な世界の中で、不確実な振る舞いをするのです。そして、私たちどうしで、不確実性を高め合っているのです。

 

それは、ギャンブルの世界や、経済や市場、株や投資の世界だけではありません。

 

わたしたち自身が不確実な行動と生き方をしているわけですから、あらゆる分野や領域で、人間社会のすべての場面で、不確実でギャンブル的なのです。

 

常に、明日どうなるか分かりません。

 

今日どのように過ごすかで、明日の過ごし方が変わるかもしれません。そもそも、自分自身の過ごし方に関係なく、自分の明日の過ごし方が変わるのかもしれません。

 

常にこの先何が起こるか分からない不確実な世界ですから、大胆に行動して何か自分自身に大きな変化を起こすことも可能であり、同様に、誰かの行動が大きく自分の行動に影響を与えるのです。

 

諸行無常とはよく言ったもので、まさに、不確実な世界に当てはまっています。常に同じ状態はなく、変化し続けているのです。

 

人間である限り、世界は常に不確実でギャンブル的な世界であり、自分自身もそのようにして生きていくのです。

考えるためにどうするかを考えてみる。

考えるということは、人間が自然に普通のこととしてやっていることです。

 

生きていくために考えることは大いに役立つわけですが、一方で、人は考えずにはいられない生き物であり、考えることを中心にして生きる生き物でもあるわけです。

 

人は考えながら、生き、生活をし、暮らしているわけです。生きていこうとするよりも以前に考え、生活をするよりも以前に考え、暮らしていくよりも以前に考えているわけです。

 

考えることが生きることの中心であるわけだから、考えるために何ができるか、どうするか、そういうことも考えられるわけです。

 

どうせ考えるなら、より良く考えたいわけです。より楽しく考えたいし、より幅広く考えたいし、より深く考えたいわけです。考えるという営みをより充実させたいということです。

 

より良く考えるためには、言葉を駆使することは欠かせません。言葉を知り、言葉を使い、言葉についても考えるということです。

 

言葉は文字ですから、言葉を書くことも考えることに役立ちます。ですから、何かものを書くわけです。ノートに向かってジャーナリングをするわけです。

 

書いているうちに思考が明確になり、整い、考える精度は上がってきます。

 

より良く考えるためには、余裕がなくてはいけません。焦って考えても、良い考えは生まれません。そのためには、落ち着いていることが重要です。冷静であることが重要です。

 

時間を十分に感じて、心に整っていることが何より大切だということです。

 

そして、心が整って落ち着いている状態を作りだすには、心地良さが重要です。快適であることも重要です。そのような状態が整っていないと、深く広く充実して考えることはできません。

 

そのように考えると、より良く考える時間を作るためには、身体の状態が重要です。より良く考えるために、身体の状態を整え、健康を保つということです。

 

身体の状態が良くなければ、頭もより良く働いてくれません。深く思考するためには、身体という土台が重要だということです。

 

身体や心の状態が整ってくると、ゆっくりものを考えることができます。日々自分の身にあるいは身の回りで起こっていることに対して、冷静に客観的になって考えることができます。

 

状況を改善できますし、新しい考えも生まれます。より広く、深く、柔軟に、考えることができるということです。

 

そして、考えることが楽しくなります。暮らしも、生活も、そのようにして、より良く考えるために整えていくということです。

人間はいつだって考えることができる。

人間は、いつだって考えることができます。いろんな知識や経験を、考えることに役立てることができます。

 

人はあらゆることから、考えるための材料をかき集めることができます。そして、材料を上手く使って新しいことを考え出すことができます。

 

何も考えない日はありません。何も考えずにその日を過ごすことはできません。考えずにはいられないのです。

 

何か新しいことをしなくても、新しい知識を集めなくても、自分の中にあるこれまでの記憶を呼び起こして、それらを使っていつでも何かを考えることができます。

 

どうせ何も考えずに過ごすことができないのなら、自分の頭の中にある何かを使って、その時の自分にとって良いように考えるのが良いと思います。

 

身につけた知識は、考えることに役立てられます。知識と思考を組み合わせて、新たな知識を生み出し、そして、また、その知識を使って考えて、新たな知識を生み出すことができます。

 

その意味で、知識はいつでもいつまでも新しく積み上がっていきます。

 

経験も、思考とともに、自分の血肉にしていく事ができます。人間は何をするにも常に考えているわけですから、いろんな経験に、思考を組み合わせることによって、学びが広がり、深くなるのです。

 

自分の目の前に問題が立ち現れてそれを今解決できないとしても、考えることでいつか解決できます。

 

今持っている知識では解決できない問題も、その問題を起点に新たな思考と新たな知識を組み合わせて解決するのです。

 

今の時点でどのように解決するかは分からなくても、自分の思考により乗り越えることができるのです。新しく解決する道を見つけ出すのです。

 

言葉は考えることを助けます。言葉と思考は相性が良く、言葉を使って考えることもできるし、考えることによって言葉を生み出すこともできます。

 

今は分からなくても、道が見えなくても、言葉を使って問いを打ち立てることによって自然と思考が回って、道が見えてくるのです。あるいは、道を開拓するのです。

 

知識も、経験も、言葉も、みな、考えることに生かせます。考えることを増やし、考える質を変えてくれるのです。

 

どんな問題も、未知なことも、考えることが突破口になります。いつだって人間は考えることができるのです。

 

人間にとって考えることは、自然なことであって、いつでもできることであり、生きることそのものと言っていいほどです。

 

生きるために考えるとも言えますが、考えるために生きているとも言えます。考えることは生きることの中心的な活動です。