毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

精神の状態や思考を整えるには、身体の状態が大切。睡眠・食べるもの・身体を使った活動

日々の生活の中で、自分の状態を整えるのに大事な事は、やっぱり身体だなとつくづく思います。人生にしたって、仕事にしたって、日々の生活にしたって、何にせよ身体が基本なんだと思います。

 

これとの対比で、精神の状態とか思考とかは言うほど基本ではなく、身体があって精神、身体があって思考、という感じがします。自分の精神の状態が悪いのはやっぱり身体が整っていないからだし、身体が整っていないから良い思考につながらないって感じがします。思考は、役に立つ思考と役に立たない思考とあって、身体の状態の良くない時の思考は、かえって自分の状態や方向性を悪くします。

 

自分の精神の状態や思考を良くしたい場合は、やっぱり身体を整える事が大事だと感じます。

 

何より睡眠はとても大事だと感じます。ちゃんと寝ていないのに、精神の状態を良くしよう、思考の状態を良くしようというのは無理があります。毎日ちゃんと寝ていないと、疲労が蓄積して、精神の状態はどんどん悪くなります。つらさや憂鬱感、不安感が膨らみます。そのような精神の状態から生み出される思考を本当に役に立ちません。逆にさらに精神の状態を悪くします。

 

食べるものも、もちろん関係します。自分の身体にとって良くない物ばかり食べていると、身体の状態が悪くなってきます。また、必要な食べ物をちゃんと摂っていないと、それも身体の状態を悪くします。それには個人差はありますが、自分なりの適切な食事が凄く大切だと思います。

 

もちろん、身体を日々動かす事は大切です。身体を常に動かして、身体の中の循環を良くする事はとても重要です。身体を動かしていると、精神の状態を良くなりますし、思考も良くなります。その意味で、毎日身体を使った活動をするのは、精神の状態や思考に良いと言えます。それが、人が仕事をしている理由だったりします。

 

また、家事や雑事でも十分身体は使います。毎日の家事は仕事の内容によっては会社での仕事より身体を使います。そういう意味で、毎日の家事が身体の状態を整え、精神の状態や思考を整えます。

 

そういうわけで、日々の自分の状態、精神の状態や思考は、身体が整っている事がとても大切です。その為には、毎日の睡眠が凄く大切ですし、食べるものも大切です。また、身体を動かす事は身体の状態を整える基本と言え、仕事や家事、雑事など、毎日の身体を使った活動が凄く身体の状態を整えてくれます。そのようにして、身体の状態を整えていけば、自然と精神の状態や思考は良い状態になっていきます。

身体は資本。朝は身体の動かす習慣によって頭にエンジンをかけて1日を始める。

とにかく身体は資本なんだなと、毎朝よく感じます。身体があって、生活ができる、前に進んでいけると本当に思います。

 

朝は、昨日までの疲れとか寝不足とか、色んなものを引きずって迎える事が多いので、朝の頭はぼやぼやだったり、憂鬱だったりします。なので、そんな状態から頭で1日を始めようとすると、たいてい上手く始められません。ぐずぐずしてしまうし、憂鬱さは場合によってはもっと深くなります。

 

ですが、そんな状態でも、身体を動かしていると、徐々にエンジンがかかってきて、頭のエンジンもかかってきて、今日という1日を始められます。頭にとってのエンジンは身体です。

 

多少、頭や身体が重いなっていう日でも、筋トレをしたり、体操をしたりすると、身体には自然とエンジンがかかります。私は、軽い筋トレという事で、毎朝5分程度の筋トレをやっていて、もう1年と5カ月くらいになります。もう習慣化しているので、身体が重くてもやる事が出来ます。習慣化の力はすごいです。体操も、もう何年もやっているので、それも習慣化しています。身体を動かす事を朝の習慣にしていると、身体にエンジンをかかって頭にもエンジンがかけやすくなります。

 

身体と習慣は深く結びついていて、いつも連動しているので、習慣を作っていれば、その習慣のおかけで身体は動かしやすくなるし、身体を動かして持続する事で習慣は維持されやすくなります。習慣のおかげで、習慣を行うための身体は鍛えられているし、身体は鍛えられているから、その習慣は続けやすくなっています。息をしているようなものです。息は常にしているから、容易に出来ます。

 

習慣化していなくても、身体を動かす事は、頭の状態を1日を始めやすい状態に変えてくれませ。頭が憂鬱でも、カーテンを開けて太陽の光を浴びやすいようにしておくことは大切です。しだいに、活性化してきます。家の中で、歩き回るのでも良いです。しばらく歩いていると、身体が動き始めて、頭も活性化してきます。ちょっとした雑事、手洗いでも、うがいでも、水を飲むでも、色んな動作が身体にエンジンをかけて、頭にもエンジンをかけてくれます。朝の家事はその意味では凄く大事です。

 

そういうわけで、朝は疲労感や憂鬱感で始めづらい事もありますが、身体にエンジンをかける事で自然と頭にもエンジンがかかり、その事で1日を始める事が出来ます。なので、身体を使う事は大切です。軽くても筋トレや体操の習慣はそれを助けます。また、そうでなくもで、雑事や家事など、身体を動かす事は何より大切です。身体は資本です。

「楽しい」と感じる「食事が美味しい」は、もっと複合的な楽しさが絡んでいる。

自分が楽しいと感じる事として、「食事が美味しい」というのがあるんですが、単に「食事が美味しい」から楽しいと感じるのか、幸せと感じているのだろうか。と思ったりします。もう少し、この「食事が美味しい」という事について深く考えてみると、その事に伴う色んな事が複合的に絡んでいるからではないだろうかと思ったりします。

 

食事に関しては、基本的に妻が食事を作ってくれるのですが、妻が食事を作ってくれるから嬉しいというのはあるように感じます。妻が作ってくれる食事を美味しく感じるというのもあるんでしょうけど、作ってくれるという事自体が嬉しいというのもあるように感じます。外に出かけてレストランで食事をしても、もちろんそれは楽しいですが、やっぱりそれとは違う喜びがあるように思います。

 

そして、食事の時間を妻と一緒に過ごすというのも、とても楽しい事だと感じます。一人で食事をするよりも、やっぱり妻と一緒に食事をするというのが喜びや楽しさの要因だと感じます。むしろ、その日の食事がそんなに美味しくないという場合だとしても、一緒に食事をするという事自体が楽しいから、楽しいのは単に食事が美味しいからという理由だけとは思えません。

 

また、基本的に、食事をしながら海外ドラマを観ているのですが、その事も楽しい事です。食事をしながら、海外ドラマを観て、ドラマの事についてあれこれ話をするというのが楽しい時間というわけです。

 

たまに、映画を観ながら食事をするときもあります。映画は長いですから、食事が映画の途中で終わってしまいますが、そういう時間も凄く楽しいし、楽しみにしている時間です。

 

このようにして、ドラマや映画を観ながらたまに妻と話をするわけですが、そもそも、食事をしながら会話をするという事が楽しいというのもあります。食事をしたいのか、会話をしたいのか、どっちが先なのかは分かりませんが、そのセットがとても楽しいんだと思います。

 

そんな風に考えていくと、楽しい事として「食事が美味しい」というのは、たぶんそれだけではなく、それは妻が作ってくれているからであり、そして、食事の時間が、ドラマや映画を観る時間、会話をする時間にもなっていて、楽しい事がたくさん絡んでいるかだと感じます。面白いドラマや映画を観ているから食事が美味しく感じられるんだろうし、楽しく会話をしているから食事が美味しく感じられるんだろうと思います。

 

食事は味覚と嗅覚でしていると言われますが、たぶんそれだけではないと思います。

 

そういう意味では、楽しい事として「食事が美味しい」と言ってしまうのは、楽しい事を限定した言葉に集約し過ぎていて、というより、楽しい事のかなりの部分を削ぎ落し過ぎていて、正確に表現出来ているように思えません。色んな楽しい事があるのに、言葉はそれを限定しまうので、勿体ない事だと感じます。

 

楽しさというのは、色んな事が複合的に絡み合い、どれかひとつが楽しい事であると限定出来ない、もっと深く広がりのあるものなんだと思います。

人間はただ情報を取り入れて、感じて考えて、それだけでドリブンする生き物。

人って凄いなって思う事は、言うまでもない事ではありますが、ただ色んな情報を取り入れるだけで、自分自身をドリブンして生きていく生き物だという事です。

 

ただ何かを見ているだけで、それらから何かを感じて、それを元に何かを考えて、何かを始めるわけです。他の動物も似たような事をしているんでしょうけど、人間ほどそんな事をやっているのかなと思うと、人間というのは本当に不思議で、人間というのは凄いなと思います。

 

外の自然の景色をただ観ているだけで、それから何かを多彩に感じて、心が動いて、その情報を記憶として蓄積していきます。人との関わりの中にいて、直接何かを喋らなくても、ただ見て、話を聞いているだけで、何かを感じ、考えて、それらを情報として記憶します。そして、それらが動き出す原動力になります。

 

例えば、何か自分自身を変えたいと思う場合、特に具体的に何かをしようとしなくても、周りの環境をただ見て、感じて、考えているだけで、それらの情報を元に何かを始めるきっかけにします。周りの環境を要因にして、自分自身を変える事が出来るわけです。

 

そのように考えていくと、感じる力、考える力はとても大事なんだと感じます。

 

感じるというのは、人間が生きる源です。でも、感じるには、ポジティブな事だけはなく、ネガティブな事もあります。つらく感じる事、苦しく感じる事、嫌だと感じる事、そういうネガティブな事は感じたくない事ですが、それでも、自分をドリブンする力になります。感じる感度があんまり低いと、自分を奮い起こしてくれません。その意味で、感じる感度が高い事はとても大事です。感じる感度が高ければ、些細な事で十分で、ただ見て、ただ触れるだけで、大きく多彩に感じる事が出来ます。

 

そして、考える事は、人間をどんどん突き動かしていきます。色んな情報や記憶もそうですが、感情が大きく動かされてしまうと、どうしたって頭を使わないわけにはいきません。つらい事はあると、それに嘆きつつも、思い悩まされつつも、何かを考えないわけにはいきません。良い事があれば、その事に心躍らせて、もちろんそれを考える材料にします。色んな感情の動きに連動して、考えるわけです。それが人間の知恵の源です。

 

そういうわけで、何か自分を変えたいと思う時は、無理に何かをしようとしなくても、また、無理に何かを計画しなくても、色んなものをただ見て、触れて、聴いていれば、それを材料にして、自然と感じて考えて、そして、何か自分自身を変えるきっかけにしていくと思います。

不満が増えてきた事に気付いたら。自分自身を大事にする。

会社に行ったりして日々過ごしていると、不満が増えてきている事に気付く時ってあると思います。会社の不満や組織の不満、また、自分の周りの人たちの事についての不満もあります。それ以外にも、世の中の事や様々な事について、たくさんの種類があって、それらがどんどん大きくなっていったりします。

 

そんな風に色々と不満を感じている事に気が付いたら、それは自分自身を大事にしていない事が原因ではないかと考えた方が良いように思います。

 

漠然とした言い方ですが、生きていると色んな事があります。自分の周りの事で色んな事があるという言い方も出来ますが、自分自身の事について色んな事があるという言い方も出来ます。常に自分は自分自身ですから、起こった事、起こっている事は、自分にとっては自分自身についての事です。

 

不満があるというのも、それは、周りの人たちが原因だったり、会社やその組織が原因だったり、世の中自体が原因だったりしますが、それらの原因に対して不満を感じるか感じないかは自分自身によります。

 

不満を抱えた状態を続けていくのはつらい事ですから、何とかそれらを解決したいものです。そうしないと心身が病んで、どうにもならなくなってしまいます。不満をそのままにして放っておくというのは、自分自身をどんどん疲れさせる原因になります。

 

そして、その不満の矛先が、自分以外のところに向いていても、なかなか解決しない事が多いと感じます。実際、不満は愚痴みたいな形で言葉に出て、発散して解消しようとしてしまいがちですが、それだと毎日のように愚痴を言い続けてしまったりします。実際には、不満は解決されておらず、解消されていないという事です。

 

なので、自分自身と向き合ってみるのが良いように感じます。不満を感じているのは自分で、つらいのは自分ですから、きっと自分は何か無理をしているわけです。そして自分自身が内側から悲鳴を上げているのです。そういう自分にまず対処してあげる事が大切だと思います。

 

世の中が悪いとか、周りの人が悪いとか、自分自身が悪いとか、良い悪いはあるのかもしれませんが、それはあんまり意味がありません。悪い方が対処する必要があるとか、悪くないから対処する必要はないとか、そういう話でもありません。

 

そういう良い悪いの判断ではなくて、自分自身をどう感じているのか、何についてつらく感じているのか、そういう気持ちを理解する事が大切です。もしかしたら、不安でいっぱいなのかもしれません。寂しさでいっぱいなのかもしれません。そういったつらさを抱えたまま、でも、ずっとないがしろにしているのかもしれません。そういう自分と向き合って、受け入れてあげる事がまず大切だと思います。そうしていけば、自分自身にとってどう不満を解消していけばいいか、分かってくると思います。

 

そういうわけで、日々の中で不満が増えてきた、膨らんできたと感じたら、自分自身に目を向けて自分自身と向き合う事が大切なように思います。きっと自分は不安やつらさでいっぱいです。それを受け止めて、理解する事が不満を解決する一歩につながるように思います。

退屈感。どうするかを考えて知恵を働かせる。自分を振り返る良い機会。

たまに湧き上がってくる退屈感。これが意外と煩わしい事だと感じます。実際、退屈に感じたり、暇に感じたりする事は人間の普通なのですが、それはそれでつらいもの。ですが、退屈を感じたら、それは今自分自身について振り返って何かを変える機会なのではないかと感じます。

 

何かの対象についてコミットしている時、退屈は感じません。そういう意味では、何かにコミットしていないから、コミットしていない状態が続いているから、退屈感を感じているとも言えます。だから、何か自分の関心のある事、または、自分が考えなければならない大事な事にコミットするのが良いと思います。

 

とは言え、その場ですぐに何かにコミットする事も難しい事です。本当に自分自身がコミットすべき対象にコミットしないと、また気が付いたら退屈感に襲われます。なので、退屈感の程度にもよりますが、あまりに退屈感が強い場合は、いったん足を止めて今の自分にしっかり向き合って、自分自身の事について振り返ってみるのは良いと思います。

 

新たに何かを始めるというのもありますが、逆に、何かをやめる決断をするのも良いと思います。何か自分を退屈に留めて続けているやめるべきもの、捨てるべきものがあるかもしれません。そういったものが何かに自分をコミットする事を妨げているかもしれません。この機会に、思い切って何かをやめてみる。凄く良いと思います。

 

退屈を感じているのは、身体ではありますが、頭の中とも言えます。自分の頭でしっかり考えきれていないという事もあります。退屈感に関しては、その場で思考を切り替える事で、今まで感じていた退屈感が消え去るという事があります。それは実際に頭が暇になっていて、脳が退屈感を感じていたとも言えます。このような退屈感はつらさの感情に流れやすいので、それが煩わしいわけです。ですが、しっかり頭を使って、思考を切り替えていく事で退屈感を振り切れます。

 

要は、頭を使って知恵を働かせるというわけですが、人間の知恵は自分自身を突き動かしていく大事なものです。人間の知恵こそが多くの問題を解決する力を言っても過言ではありません。知恵を使って、自分のこれまでの経験を振り返って、何か見直すべき事がないか、また、出来る事はないか、心にも問いかけながら、丁寧に振り返る事は大事な事です。

 

折角感じた退屈感を単なるネガティブなものとせず、自分を見直す良い機会にし、知恵を働かせてどうするか考える事が大きな助けになると思います。

上手くいかないのは「過剰な期待」。何かをやめる時。

仕事でも何でも、何かを続けてきて上手くいかない、上手くいかなかった、と感じた時、気付いた時は、何かをやめる時ではないかと思います。

 

「上手くいかない」、というのは、「思うようにいかない」という事だったりすると思うのですが、そういう時は、自分が何かを過剰にどうにかしようとしてしまっている時なのではないかと思います。そもそも、そのやり方ではどうにもならない事を、どうにかしようとして。その事に過剰に期待してしまった結果なのではないかと思います。

 

色んな事をやっていて、上手くいく事、上手くいかない事、たくさんあります。そしてそれは、自分の思うようにいく時もあれば、思うようにいかない時もあります。たいてい何かやろうとしている事は、他の人や自分の以外の何か、世の中と関わっているものだったりします。だから、自分がいくらそれを何とかしようとしても、自分だけではどうにもならない事っていうのがあります。それは当然で、何かやろうとしている事は、自分だけの要素だけではなく、自分以外の要素からも成り立っているからです。

 

やっている時というのは、それが過剰に期待している事なのか、それほど過剰ではないのかが、意外とよく分かりません。でも、ある時その事が「上手くいかない」、「上手くいかなかった」と感じさせられた時、気付かされた時は、やっぱりそれは過剰な期待だったのではないかと思い至る時だと思います。

 

そして実際に振り返ってみると、確かにそれは、「過剰な期待があった」という事に気付かされる場合が多いと思います。

 

でも、それは良い機会です。「過剰な期待」というのは、「過剰」が故に、無理な状態になっていて、決して実りません。だから、それをやめる時なんだと思います。

 

具体的に何をやめるのかは、すぐには分からないかもしれません。上手くいかなかったという事実、結果やその経緯を、客観的に時間をかけて丁寧に見直してみるのは良い事です。きっと、何かに思い至ると思います。

 

そのやめるべき「何か」は、過剰な期待によるものですから、やめても問題ありません。その「何か」は自分にとっては妄想みたいなものです。その妄想は、取り除く事によって楽になります。心の余裕が生まれます。そして、物事は上手くいくようになるきっかけになります。

 

そういうわけで、何か上手くいかない時は、きっと過剰な期待から来ています。なので、上手くいかなかったという事実を受け止めて、客観的に見直して、何か過剰なものを止めるのが良いと思います。やめる事で、前に進みやすくなると思います。