人は生きていく過程で、周りの人たちや環境に上手く自分を適合させながら、同時に、その環境への適応とともに自ら学習する事で、自分自身が形成されていきます。
そもそも、人間は発達とともに自分自身が形成されていくわけで、最初から自分自身があるわけではありません。体験から学んで、自分が作られていくという事です。
そして、適応して変容しながら自分自身になっていくプロセスは、楽で心地良いプロセスというわけでは決してなく、ストレスを伴いながら変容を強いられる苦しいプロセスと言えます。
ですか、環境に適応しながらそこから学習し、自分の断片に断片を重ねながら自分自身を形成させつつも、それは外側に合わせた自分であるわけで、同時に、適応が過剰になっていく中で、これに抗う自分もいるわけです。
つまり、環境に適応し、周りの人に合わせた役割期待を演じているような自分が形成されるとともに、それに反発する自分が内側に影のように形成されるわけです。
発達とともに、自分と対話する事で、内面に自分を育んでいるわけで、内なる存在として真の自分が形成されるという事です。
真の自分は、周りの環境に適応する自分が形成するとともに、内側に自ら形成させる内面の自分です。
内面の真の自分がより形成されてくると、適応していた外向けの、ある意味、周りと上手くやっていけるように演じている自分と、新たに形成された真の自分の間で葛藤が生まれ、そのままでは生きていけなくなります。
新しく自ら生み出した真の自分が、いよいよ自分の自由や、演じてきた外向けの自分からの解放を求め始めるという事です。
真の自分が、本当に何を望み、どう生きたいのか、その心の声は大きくなってきます。
最初のうちは小さくて聴こえないかもしれませんが、ずっと内面の自分と向き合って対話を続けていると、その声は明確になってきます。
それでも、まだ、自分が何を求めていて、どう生きたいのか、分からないかもしれません。その状況は、まだ、外向けの自分と、内面の真の自分との間での葛藤状態であり、まだ真の自分が十分に育っていないかもしれません。
ですが、すでに、真の自分が明確に現れ始めているのも事実であり、いずれしっかり向き合って、真の自分らしい生き方をしないわけにはいかなくなります。
真の自分は、自分が生み出した存在であり、これまでの自分から新たに変わる時が来たという事です。
ですから、内なる心の声を聞いてみるんです。何を求めて、どう生きたいか、自然と分かってくると思います。