この世の中で生きていく為には、どうしても、適応しないといけません。というより、自然に任せていると、この世の中に適応してしまう生き方になります。それが、人間です。
生きている最初のうちは、つまり、若いうちはそれで良いんだと思います。良いというか、そうするしかないし、その方法しかありません。適応する以外にする方法を、自分の手の内に持っていないわけですから。最初は当然です。
自分というものは元々何も無いわけですから、周りに自分を適合させながらその場しのぎ的に、何とかやっていくわけです。それが、学習され身についていくわけです。
そのようなプロセスを長く続けているうちに、ようやく自分というものが形成されていくわけです。木の幹のように、固い外皮を身につけながら内側に幾層もの年輪を重ねていくわけです。
ですが、ある時、年輪の数が十分に増え、自分の中に年輪のコアが形成されていきます。自分が形成されるという事です。
生きているうちは、環境の中にずっているわけですから、環境に対する適応は常に要求されるわけですが、内側には自分らしさの年輪が幾重にも重なってきているわけです。
もはやいつまでも、適応するばかりでは生きていけないわけです。内側に幾重もの年輪から成る自分らしさが形成しているわけです。
つまり、自分らしさとともに生きていく事が必要になるという事です。自分らしさは、自分の中の自発性のある部分であり、活動的な部分であるわけだから、もはや自律的な生き物なので、自分らしさという生き物は、自分らしさとして生きていくしかないという事です。
それは、自分が自分の中に育てたという事です。
最初は、周囲に適応した外皮から成る仮の姿の自分を装うわけですが、それだけでは、まだ自分らしさは自分の中に育ってはいません。
幾重にも外皮を重ね、年輪のごとく自分らしさを内部に形成させ、育む事によって、自ら自分らしさを生み出したという事です。
そうなったら、あとは、自分らしさとともに生きていくしかないという事です。というか、自分らしさという生き物が、自発的に生きていくという事です。
それでも、外皮は自分の上にさらにかぶさって形成されようとします。常に自分は環境の中にいますから、自然な学習の能力によって適応しようとしてしまうわけです。
ですが、その力に抗って、自分らしさで生きていくしかしょうがなくなります。十分、自分らしさは育ってしまったわけですから。
自分らしさは、自分の意志を持ち、自分で選択し、自分で決めようとするわけです。すでに、自分らしさは内部に息づいてしまっているわけですから、外皮を突き破って出てくるしかありません。
いかに環境からの強制的な変容の要請があろうとも、勇気を持って、自分らしさで生きていくという事です。