毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

言葉は真実ではないが、人間との間では力がある。

言葉を使う事が上手な人と上手でない人といます。言葉は、人間が生み出した芸術であり、道具であり、文化です。現代までに、ここまで使われ、有効であったものは無いほどです。

 

ですが、言葉は真実ではありません。真実を、言葉でいかに表現するかは重要であり、真実を表現する為に努力されなければならないと思いますが、真実を完全に言葉で表す事はできません。

 

もし、言葉が、真実を語り得る事が出来ていたならば、現代までに、こんなにも科学が発達してこなかった、あるいは、求められる事はなかったと思うし、データというものがこんなに力を持つようにならなかったと思います。

 

実際、言葉には力はあります。人間が何かについて表現する為の最も有力なツールであり、これ以上に簡単に、また、即座に、表現できるツールはありません。

 

人に何かを伝える、という意味では、圧倒的な力があったし、現代でも十分あると思います。

 

ですから、言葉を身につける事は物凄く重要だし、いかに現代が言葉だけに支配されていないとしても、言葉を学び、高度に使えるようになる事は、生きやすさや便利さの点でも大事な事です。

 

言葉は真実ではないし、真実にいかに言葉で迫っても限界はあるとしても、それでも、人は言葉の影響を強く受けるわけです。

 

様々な事を読み取り、理解するにも、言葉の力は絶大で、現代のどのような社会的場面においても、言葉は役に立ち、物事を進める事が出来ます。

 

それがいかに真実を表さないとしても、そして、いかに科学やデータが言葉に変わって真実を表す事に有利であったとしても、それでも、言葉は役に立つわけです。

 

実際、その事は、真実かどうかが重要ではないという事で言っているのであって、真実を語る事が言葉としての役目ではない、とすら言えるわけです。

 

言葉は、人間が生み出した道具であり、そして、人間に対して役に立つものであり、人間こそが使いこなし、人間の間で、言葉は力を発揮するという事です。

 

生きていく、という事自体が、人間の間でいかに生きていくか、という事でかなりの範囲を占められている、という事であって、人間との間で、言葉は力があり、便利で、有効であり、そして、真実ではなくても良い、という事です。

 

ひょっとすると、これからは、世界は、人間だけの世界ではないかもしれません。力というものが、人間の世界の中で振るわれるうちは、言葉は力を持ち続けるかもしれません。ですが、これから先は分かりません。

 

もちろん、以前から、世界は人間だけのものではないし、今だって世界は人間だけのものではありません。ただ、人間にとっとは、人間の世界の中で生きる、という事が重要だという事です。

 

ただ、これからは、人間の世界の中とは言え、その世界が人間だけで構築されるとは限りません。

 

その時、人間だけが使う言葉が、このアナログな言葉が、そして、真実とは程遠く、科学やデータよりも真実から遠い言葉が、自分たち人間の世界を構築しなくなった時、言葉はどれだけ便利で、役に立ち、力を持つのか、それは分かりません。