例えば、人は生きる為に食べているわけですが、逆に、食べる為に生きているというのはおかしな言い方でしょうか。
動物、生物としての人間としては、生存の為に、つまり、生きる為に食べ物を食べているわけですが、現代人としての自分たち人間は、もはや食べる為に生きていると言っても、案外おかしくないわけです。
もし、お寿司が好きという場合、明日最高に美味しいお寿司を食べるという予定があったら、おそらくその為に明日まで生きようと思えると思います。お寿司を食べるという期待が、明日まで生きるという目的に足るという事です。
また、人間は、生まれてすぐにお寿司が好きという事はありません。赤ちゃんの時からお寿司を食べる事が生きるという人はいません。
目的は、発達の過程に後天的に身につけているという事です。
言い方を変えると、人間は、学習によって行動変容する生き物であって、食べるという行為を繰り返して、その体験を通して、食べる事が好きになるわけです。お寿司が美味しいとか食事が楽しいとか様々な要因が加わる事で、喜びの体験がさらに増していって、結果として、食べる事が目的化するわけです。
つまり、目的とは、学習によって身につけていくものだという事です。
習慣といってもいいかもしれません。人間は身体を通して行為を繰り返す事で習慣を作り上げます。無意識のレベルで習慣化していく事によって、目的が生成されるわけです。
概念というのは、人間と性質が似ていて、目的という概念も人間と同様の性質があるわけです。つまり、目的という概念は学習され、変容し、習慣化してビルトアップされていくものだという事です。
ただ、目的を目的として強固なものにする為には、学習の一段上のものとして、言葉があるわけです。
目的を、無意識レベルから、意識的に認識できる形で言葉にするわけです。言語化、つまり、見える化するわけです。
言語化は、人間の認識に強い影響を与えますから、より目的として記憶化されます。そうしなければ、偶然によってポジティブな体験として学習され習慣化されて、目的として潜在性のあるものが、ネガティブな体験によって打ち消されて消失されてしまうという事があります。
ですから、目的を言葉として表現して、シンプルに明確化する事で、自分に記憶化させる、刻み込むというプロセスが重要であるわけです。
そのようなわけで、目的というのは、体験によって習慣化され学習される事によって作り上げられるものであって、さらに、言葉にする事で明確化して強固にするものだという事です。