毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

食べ物を食べるように、喜びを学習する。

食べる事が喜び、という人は多いと思います。

自分の感覚器官である味覚を持つ舌と、嗅覚を持つ鼻を使って食べるわけです。もちろん、食べ物は栄養の為に摂るのであり、身体はいつも食べ物を必要としているわけです。ですが、必要である食べ物から、食べたいものである食べ物に、能動的に変えていくわけです。

最初からお刺身が好きな人は、ほとんどいないと思います。食べているうちに、食べ物は美味しくなっていくわけです。美味しくないものが美味しくなるのではないんです。明らかに、能動的に、「単なる生魚」から「美味しいお刺身」に食べ物の意味を変えるわけです。形は何も変わりませんが、自分にとっての意味が変わるわけです。

人間は学習し、変容する生き物ですから、いつだってそのようにする事が可能です。これは人間に備わった仕組みであるわけです。

食べ物を食べるとは、自分の五感を使って食べ物を味わい、味わいというフィードバックを喜びに変換していくわけです。喜びも能動的な学習です。

もちろん、匂いや味だけではなく、食卓を囲んでおしゃべりを楽しみながら食べるという事によって、さらに、喜びのフィードバックは増すわけです。楽しいおしゃべりが、逆に、食べ物を食べるという行為を、より喜びに変えるのです。

これも、人間の学習の力です。

そのように考えると、人間のあらゆる事もしくは行為は、食べ物を食べるという行為と同様に、能動的に喜びとして学習する事が出来ると言えます。

何事に対しても、必要だからそれをするという事に留まらず、自分の感覚器官を使って、十分に味わって喜びのフィードバックをするんです。

喜びに変える力を人間は持っており、能動的にその対象に関わり、行為し、実践して、そして、感覚や感情の体験を大切にするわけです。

感覚や感情の体験を体験として丁寧に実践していく事によって、喜びのフィードバックを積み重ねていくんです。

喜びの体験は、遠くから引っ張ってくる必要はありません。何か物凄い事をする必要もありません。みんながすごいと言ってくれるような事をする必要はありません。

全て自分で出来る事であり、身近で出来る事です。そうであるからこそ、能動的に味わえるし、確実に味わえるんです。

人間には、能動的に、喜びを見出す力があります。喜びを育み、創り出す力があります。それは、人間の感覚器官、感情の体験がなせる技であり、皆持っているわけです。

ですから、それが何であれ、喜びは自ら作り出せる事を信じて、丁寧に行為し、実践して、感覚器官や感情体験を総動員して、喜びを学習するんです。