人はすぐに停滞感を感じるわけで、退屈感とか飽きとか、そういう状態が不快であるわけです。ですから、新鮮な体験が欲しいわけです。
新しい体験は、確かに、自分自身の中の新しい何かの断片となり、自分自身に変化をもたらしてくれます。
とは言え、自分に対する新しい変化は、何もしないともたらされません。考えるだけでは、言うほど新しさはもたらされません。やっぱり、行動する事が大切で、身体を使った行動が大きく新しい体験をもたらすわけです。
いつもと同じ行動は、いつもと同じ体験を基本的にはもたらしますから、出来れば、いつもと違う行動をする事が良いわけです。
いつもの行動というのは、いつもの習慣であり、いつもの習慣を実践する事は今ある日常を維持するという事においては大切ですが、日常を変えていくには、やはり習慣を変えていかなければなりません。
その意味で、習慣を変えていくには、行動を変えていく事が大切で、今までにない新しい行動を取り入れていく事が重要なわけです。
新しい行動、慣れ親しんでいない行動は、ある種不快とも感じられますが、不快だからと言って、それが悪いとは限りません。慣れない行動による不快さを受け入れる事によって、それが、新しい習慣を生み、また、新しい体験になるわけです。
だからと言って、あまりに不快な体験は、逆に不快過ぎて、また、行動を実践するハードルが高過ぎて、より良く習慣化されません。また、認知としても良い学習が起こりません。
ですから、ちょうど良いレベルの、新しい行動、慣れない行動をいかに取り入れるか。そういう事を考える事が大切かもしれません。
新しい行動が大切だからと言って、明らかに自分の意に反する行動を実践していく必要は無いし、直観でも、自分でこれは良い、と思える新しい行動を実践していったらいいと思います。
新しい行動の実践が、すぐさま新しい体験として実感され、充実感や喜び、快適さにつながるかというと、そうとは限りません。
ですが、その種は撒かれるわけで、ちょっとした新しい行動の実践や継続が、いつか、新しい体験とともに、充実感や喜びにつながるわけです。退屈感や飽きの克服、また、乗り越えにつながるわけです。
新しい体験は、人間に新鮮さや快の感情をもたらしてくれます。その為には、行動が重要です。新しい行動を実践し、習慣化につなげ、いつもの日常を変えていくわけです。
そのようにして、自分自身の行動の変容とともに、充実感や喜びがもたらされるわけです。