人は、普通に生きる、という観念を持っています。みんながそのように生きているから、自分もそのように生きる。つまり、普通に生きるという事です。
人はそしてこの「普通に」生きる事に悩み苦しむのです。一体、普通に、などという観念はどこから来たのか。そして、どのようにしたら普通に生きていけるのか。
人は、模倣する生き物ですから、あの人がそのようにして生きているから、自分もそのように生きよう、そうなるのも自然です。
実際は、あの人がそのようにやっているから、自分もそのようにやろう、であって、その延長として、そのように生きよう、に知らず知らずのうちになっているわけです。
そもそも、人は、そのように生きよう、なんて意識的に生きているのか。もっと無意識に、気が付いたらそのように生きていた、そんな感じだと思います。
そのように生きる事に囚われていた、ひょっとしたらそんな感じかもしれません。
気が付いたら模倣していて、気が付いたらそのようにやっていて、そのようにしていくうちに、自ら学習によって、そのように囚われているのです。
そして、どちらかというと、無意識に学習して身につけた「普通」に、人は意識的に気付いて、抵抗しているのです。
生きにくさや違和感から何かを察知し、あらためて、普通に囚われている事に気付き、そして、意識するというエネルギーを使って、むしろ、普通に生きる事に抵抗しようとするのです。
人間は思っているよりも無意識に情報を取り込み、意識するよりも前に、情報を自分の内側に取り込んでいます。
身につけようとした覚えがないのに、見たもの、聞いたものを、自分の中に取り込み、そして、それを元に行動しています。頭を使っているようで、実は使っていないんじゃないかというくらい、無意識に学習しているわけです。
学習とは、机に座ってじっと考え込んで初めて為されるものではなくて、すでに起きている間に、もっと言えば、寝ている間にも、常に為されるものです。
人間は、その意味で学習する生き物であるわけです。
無意識に、日々呼吸をしながら同時に学習し、学習し続け、普通に自分の内部に形成していくのです。
自分が普通に囚われてしまっているのは、その結果です。
メディアはもちろんその事を加速させます。ですから、現代の多くの人は普通に囚われています。そして、普通に生きにくさ、違和感、そして、普通に抵抗し始めるのです。
普通に生きるとは自然な事であり、そして知らず知らずのうちにその事に囚われ、そして、自ら学習した普通に、自ら意識的に抵抗を始めるのです。