毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不安に囚われず、日々ありふれた喜びに気付く。

不安に囚われてばかりいると、小さな喜びに全然気づきません。そして、不安に囚われてばかりになって、それらをベースに色んな事を考えてしまいます。それではちっとも日々が楽しくなりません。

 

日々を楽しく生きていく事がウェルビーイングにとっては重要ですから、そのようなネガティブな事に囚われてばかりではいけません。

 

人間にとって、ネガティブな事に囚われる事は自然な事で、容易な事ですから、その意味では、自然に自分を任せていてはいけないわけです。無意識な自分に任せていてはいけないわけです。

 

そうではなくて、意識的に、ポジティブな事に気付くようにしなければならないわけです。

 

普段、大してポジティブと感じていない事、喜びと感じていない事も、実はポジティブな事であるという事、喜びであるという事に、ちゃんと気付かないといけません。

 

自分の正しいポジション、自分の正しい基準を調整しなければなりません。自分のポジションや基準が楽しく調整されれば、日々喜びに満ちているはずです。

 

もちろん、喜びは大きくないといけないなんてことはありません。小さくて十分なんです。

 

喜びの程度の問題ではなく、喜びをちゃんと感じられるかどうか、喜びをちゃんと認識できるかどうか、そういう事が大切です。

 

自分自身の感じる感度が高ければ、相対的に喜びは大きくなるし、逆に感度が低ければ、喜びは小さくなります。もしくは、喜びに気付きません。ですから、喜びの客観的な程度は問題なく、大事な事は喜びがちゃんと自分の身の回りにあるかどうかです。ありさえすれば、あとは自分自身の感度次第で、いくらでも喜びは大きくなります。

 

そして、喜びが自分の身の回りに無いなんてことはありません。それは、目が曇っているのかもしれないし、見ていないのかもしれません。それは、意識の問題であり、正しい基準の設定の問題です。

 

その意味で、喜びに大きいや小さいは関係ないわけで、そして、喜びは例えば1日にいくつも見られるはずです。

 

毎日、喜びはありふれた事になるはずです。そのように、意識を持っていく事は大切だし、そのような目を身につける事は大切だし、感度を育てる事は大切です。

 

そういうわけで、日々ありふれているはずの喜びにちゃんと気付く習慣を身につける事が大切です。意識的でなければ、喜びに気付かないかもしれませんし、不安にただ囚われて生きるだけになってしまうかもしれません。それでは、ウェルビーイングな生き方が遠のきます。そうではなくて、ちゃんと、日々周辺にある喜びに気付くようにならなければなりません。