人は不確実な世界の中を生きています。不確実であるがゆえに不安はつきものです。
どうなるか分からないという不安を抱えながら生きるわけですから、脳はストレスを感じ、身体は疲れます。人はそのようにして、不確実性の世界を不安とともに生きているのです。
不安を軽減させたいですから、何とか不確実なものを確実なものになるように努力するわけですが、現実が不確実であるため、努力しても確実にはなりません。
むしろ、必要な努力は、不確実を確実にするのではなく、この世界が不確実であることを理解し、受容することかもしれません。
確実に生きる戦略として、「何もしない」という方法があるかもしれません。現実的に何もしないということは難しいですが、もし何もしなければずっとこのまま変わらないため、「変わらない日々』を実現できているという意味では、確実と言えるかもしれません。
ですが、何もしなくても、身体は刻々と変わっています。自分の意思とは関係なく、身体は常に活動していて、状態は変化しています。単なる循環ではなく、不可逆的に変化しています。
ですから、何もしないことで確実に生きようとしても、自分で勝手に変わってしまって、その結果、変化とともに不確実になっていくわけです。
この世界が不確実な要因は、自分たちが不確実性を備え、不確実性を生きる生き物ですから、確実に生きようとすること自体が到底難しいことです。
人間の身体は、不確実性に備えるようにできています。不確実な世界の中で、警戒を怠らず、危険を察知して、不安をサインにして生きています。そのような適応性を備えています。
脳はそのようにできています。不確実性を前提とする仕組みを備えているのです。
ですから、ストレスを感じるのも、不安を感じるのも、それに伴って身体が疲れるのも、自然なことなのです。
わたしたち人間は、もっと不確実の世界を生きているということを自覚しなければなりません。
そして、そのような世界で生きることに慣れなければなりません。
ストレスも不安も疲労も自然なことですが、それらが過剰になるのは避けなければなりません。自らの仕組みで疲弊しきって、この不確実な世界を生きていけなくなります。
自分たち人間の不確実性の仕組みで、自ら生きていけなくなってしまいます。
そもそも不確実性の世界を生きているのです。自分たちが不確実であり、自分たちでこの世界を作ろうとしているのですから、不確実であるのは自然なことです。
確かに諸行無常の世界を生きているのです。そのように理解して、受け入れて、不確実な世界とともに日々生きていくのです。