言葉を使って、ものごとを正確に言い当てよう、あるいは、正しく説明しようと試みるわけですが、それには限界があります。
言葉とは、本来、そのように使用するものではありません。
もちろん、そのように使用する努力はもちろん間違っていません。その努力によって相手にものごとの内容をより正確に伝えるわけですから、それが間違いだなんてことはありません。
ですが、言葉の性質上、どうしても、正しく説明するのは難しいのです。真実に言葉を一致させるのは原理的に難しいのです。
言葉はその意味で自由です。正確さに縛られることなく、真実に縛られることなく、自由に使うことができるのです。
自然の法則の下では、自由はありません。宇宙空間の中で、ある力で物質を押したなら、その物質はある速度で前進を始めます。その速度は押した力で決まるのです。
ですが、人間の人為的な行為というのは不自然であり、言葉は宇宙の自然の法則から逃れているのです。
それが真実でなくても、事実でなくても、言葉は自由に使っていいんです。人間の作る人工的な世界は、不自然な世界であり、自由の世界なんです。
人間は常に不確実な世界を生きています。確実な世界を生きているわけではないんです。
確実な世界とは、決定論の世界であり、確定された世界であり、自由はありません。
不確実な世界だからこそ、この先、何が起こるか分からない未知の世界に開かれているのです。
言葉は、その意味で自由です。不確実な世界に対して、自分の、人工的な言葉を投げかけるんです。
その言葉で未来がどうなるか分からない。それでも、その言葉を生成して、未来に投じるんです。その言葉で、ひょっとしたら自分の未来は変わるかもしれないのです。
言葉は色んな使い方ができます。どのような言葉を生み出し、実際に発するかで、事実が動き始めます。
事実の上に立脚した私たちは、未来に向かって、事実の軌跡を作っていくわけですが、その軌跡が、自ら投じた言葉によって作られていくわけです。どのような軌跡になるのか、今の時点では分かりませんが、言葉にはそのポテンシャルがあるのです。
不自然な世界を生きている私たちは、言葉という道具を得て、不確実な未来に向かって、自由に言葉を発することができます。そして、自らの、不確かな言葉を投じることができます。
自ら投じた言葉の足場がいかに不安定だとしても、そこに足を踏み出して、未知の世界に進んでいくんです。