毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

不確実で自分だけの人生を生きていく。

事実として、人は他の人と同じ人生を歩む事はありません。自分だけのオリジナルの人生を歩むわけです。

 

他の人と同じように生きようとしても、どうしても同じになりません。そうであれば、自分は自分だけの人生をどう生きるか、その事を真剣に考えなければならない、という事です。

 

人は比較をして、そこから学ぶ生き物ですから、完全に自分の事だけを考えて生きることなどできません。ですが、比較ばかりをして、自分の人生にならない事も問題になります。

 

他の人がそのように生きているのだから、自分もそのようにして生きていかなければならない、そのように考えていると、ずっと他の人のような生き方を追いかけ、でも、そもそも、人と自分は違うのだから、いくら追いかけても同じ人生になどなりません。

 

最初から、人とは人生が違うんです。

 

人生どころか、人間そのものが違うわけですから、違うに決まっています。

 

だから、人の真似をしても真似にしかならず、人と同じにならないわけですから、結局は、自分でどうしていくか、そのように考える事の方が多くなるわけです。

 

あくまで、他の人の生き方は参考までなんです。

 

自分の身体は他の人と違う身体をしているわけだから、他の人の真似をしようにも、他の人の身体の動かし方を真似ながら、自分の身体をどう動かすか、その事を考えないといけないんです。

 

確かに、人はどのようにして生きていったらいいか、分からないんです。いつだって確定された人生なんてないし、確定されたら、そっちの方が自由が無く嫌なわけですから、不確定な人生を生きる方が普通で、自然であるわけで、だから、どのようにして生きていったらいいか分からない、という事を引き受ける方が普通なんです。

 

そこには、生きていく不安や恐れがあるんです。人は、不明な事は嫌いで、不明な事は不安につながりますから、不明な事を解消したくて、いつも明らかに、スッキリしたいと思うのが、人間なんです。

 

ですが、そんな事はありません。不可能なんです。

 

自分の人生を明らかにし、確実に生きるなんて事は不可能で、だから、生き方も確実なものにすることも不可能なんです。

 

そして、他の人と比較して、そのように生きれば大丈夫と思って、安心しようとするわけですが、いかようにも、他の人と同じにはなりません。

 

いつまでも、自分の人生であり、自分の生き方になり、それは不明であり、不安なんです。

 

そうであるならば、いつだって不明で不安な人生を引き受けて、自分でどうしていくかを考えていくしかないんです。