人にとって、問いの立て方は、とても大切です。
人はある問いに対して、自分なりの答えを持っています。ある問いが立つと、その問いに対して自分の持つ思考パターンで何らかの解答を導き出すのです。人は、そのような論理=ロジックを持っているのです。
ものごとが論理的かどうかは、その人自身の脳の思考パターンによるのであり、自分自身にとってそのように考えて導かれた解答に納得感があれば、本人にとってはそれが論理的なのです。
「AならばBである。BならばCである。ということは、AならばCである。」という思考パターンで導かれた解答に納得感があれば、それが論理的だということです。
納得感が得られるのは、脳にとって快であり、解放されるということであり、心地良いことなのです。
その結論に心地良くなって、その結論に基づく行動のコストは下がるわけです。つまり、行動力が上がるわけです。
人の論理というのは、これまでの経験によって学習して作られてきたものであり、その人特有のパターンを持っています。たいていの場合、何らかの問いが立てば、導かれる結論はいつもの論理によって導かれるのです。
ですから、大切なことは、どのような問いを立てるか、ということです。
問いによって自分自身の解答は自分の身につけた論理で決まるわけですから、解答を変え、結論を変えられるのは、問いということになるわけです。
自分自身の行動を変えていくことが自分自身の人生を変えていく、そして、自分自身を変えていくことにつながるとすると、どのような問いを立てるか、そのことが重要なのです。
問いを立てるのは言葉ですから、言葉の使い方で問いが決まるわけで、自分の言葉の使い方がいつもの使い方のままであれば、問いもいつもと同じです。そして、導かれる結論も同じです。
言葉はいつだって正確ではありません。物事を説明しようとして言葉を使うわけですが、表現した言葉が正確にその物事を説明しているとは限りません。
言葉は正確さや確実性とは関係なく、生成されるわけです。真実でなくても、実行可能性がなくても、言葉は自由に生成されるのです。
ですから、問いを立てるときも、何も考えずに言葉を生成して問いを立てていたら、その問いにいつものパターンで結論が導かれて、いつもの行動に落とし込まれていくのです。
そして、いつもと同じことを繰り返すことになるのです。それでは、自分の行動は何も変わりません。
ですから、どのような問いを立てるか。そのことが重要なのです。
今までにない問いを立てられれば、導かれる結論も変わってきます。そして、いつもと違う行動につながります。そのことが自分自身を変えていくのです。