人間は色んなことを分かりたいと思うのですが、なかなか分かりません。特に、まだ起こってもいない未来のことについて知りたいわけですが、分からないんです。
分からなくても、人は色々と先回って予測して、現実に起こる前にそれを知ろうとするわけです。原理的には分からなくても、そんなこと関係なく先読みしようとするわけです。
人間が分かることは、せいぜい未来のことではなくて、過去のことです。すでに起こったことであれば、分かることができます。
事実に対しては、後からそれを見て、振り返って、何故その事実が起こったのか、理解できる可能性があります。
その意味で、人は振り返ることが大切なんです。振り返ることによって知ることでき、そこから学ぶことができ、学んだことを未来に活かすことができるんです。
また、振り返ること自体が好きなんです。知りたいわけですから、そのことを知れば、それだけで嬉しく、満たされるわけです。
未来のことは、それが現実として起こらない限り、どうなるかは決して分からないわけです。自分の身にそれが現実のものとなってはじめて、それを体験でき、その体験を通して知ることができるわけです。
完全にすることができなくても、事実であれば、それを知ろうとすることができるし、色々と検証することも出来るし、解釈することもできるし、かなりの部分を明らかにすることができます。
人は、未知である未来に向かって生きているわけで、不確実性の中に身を常に投じているわけで、それが喜びの体験になるのであれ、悲しみの体験になるのであれ、起こってみなければ分からないわけです。
常に、不確実な未来に開かれていますから。
そして、現実の体験として起こった後に、その体験を喜びものであれ哀しみのものであれ、後になって振り返ることができるわけです。
悲しみすらも味わうことができるわけです。開かれた未来は、体験とともに過去になり、それはいかようにも味わい尽くすことができるわけです。悲しみであれ、です。
それは、振り返りのプロセスであり、知るプロセスでもあり、味わうプロセスでもあります。身に起こって通り過ぎた過去のことに対する二度目の味わう体験であるわけです。
人は絶え間なく、不確実で不明な世界に開かれています。いかように予測しようとも、不確実なまま体験させられます。
ですが、その後、知ろうとすることができます。それが喜びであれ、悲しみであれ、明らかにして、味わい尽くすことができるわけです。