ジャーナリングとは、文字を書き記す行為。自分の文字を書く行為。それは、自分の一人二役の行為。
自分と向き合う行為であり、それは鏡と対面する自分と向き合う行為。
自分はノートに文字を書いていくわけですが、自分の書く文字は、同時に自分について書かれる文字でもあります。
また、自分が考えることは、自分について考えられる事として映し出されることでもあります。
また、自分の文字を読む事は、そのまま、自分の文字を読まれることでもあるわけです。
自分自身が鏡に映し出され、映し出された自分と対話するわけです。
鋭く書きつけた言葉は、そのまま自分に鋭く返ってくるし、厳しい言葉はそのまま厳しく返ってくるわけです。
ジャーナリングにおいては、書く行為は同時に書かれる行為であり、鏡の関係であり、表と裏の関係でもあるわけです。
自ら書く言葉は、自分に聞かせたい言葉であり、同時に聞きたい言葉であるわけですが、場合によっては聞きたくない言葉にもなるわけです。
いかようであっても自分にすべて返ってくるわけで、投げかける自分と受け取る自分の一人二役で成り立っているわけです。
投げる言葉が直球なら、その直球を受け止めるのも自分であり、変化球なら、その変化球を受け止めるのも自分であり、どう受け止めるかも自分しだいです。
自分が一体どんな反応をするか、それは自分でも分からないわけで、鏡に映し出される自分がどんな反応をするのかは映し出してみるまで、分からないわけです。
どんな言葉を投げかけるかは自分しだいであり、自分の自由であり、それを受ける時の自分の反応ではじめて、自分を知ることができるわけです。
予想しないリアクションを自分は取るかもしれないし、自らの言葉で思いもよらない反応を自分は示すかもしれないわけです。
そして、自分の投げかける言葉で、予期せぬ反応を引き出し、自分自身をも変えるかもしれないわけです。
言葉による一人二役のやり取りを通して、自分と向き合いながら、鏡に映る自分を見ながら、自分に向かって自分に語りかけ、関わり、相互作用を引き起こすわけです。
自分自身の言葉が、自分を変える力を持つのです。
自分に作用し、自分に影響を与え、自分を掘り起こし、自分を再生するんです。自らの言葉で、変化を促すんです。
ジャーナリングは確かにただ自分の言葉を書き記す行為です。そして、それは鏡の映る自分に語りかける行為であるわけです。
一人二役の行為であり、自ら自分に変化を促す行為でもあるわけです。