何故か頭がスッキリしない、でも、スッキリさせたい。そんな欲求なのか、不満なのか、ストレスなのか。そういった事で人は苦しむわけですが、しかし、何故、こんなにも頭の中は落ち着かないのか。よく分からないわけです。
頭の中に湧いてくることを、いちいち囚われて反応していたらきりが無く、だから、そういった事を無視して、払い除けて、そのような事に反応する事と耐えて、心を静めたいわけですが、それがなかなかできないわけです。
むしろ、もう一方の欲求として、頭の中に湧いてきた事に、そのまま、我慢せずに囚われたままにしたいし、反応するがままにしたいという、無意識な欲求があるわけです。我慢する事に努力する事も辛いわけです。
だから、頭の中に湧いてきた事を、本当は、何も制限をかけたくないし、垂れ流すままに垂れ流して、楽になりたいわけです。
ジャーナリングでは、そのような事に役立ちます。頭の中に湧いてきた言葉を、そのまま、ノートの上に、垂れ流すように、書きていけばいいんです。
頭の中に溜まった昨日までの水は、蛇口を捻って排出するようにして、頭の中に溜まった言葉を、排出したらいいんです。吐き出したらいいんです。それが、ジャーナリングの良いところです。
人は、思いついたことを、何も制限をかけずに口に出したいし、誰かに聞いてもらいたいし、自分の気持ちを分かってもらいたいんです。
何も制限をかけずに、という事は、それが良い事だろうが良くない事だろうが関係なく、とにかく言葉にしたいんです。
そして、口にしたことを否定されたくはないし、認めてほしいんです。
人は、一方で、自分が思っている事、感じている事、考えている事を否定される事、肯定されない事を、凄く恐れています。不安を感じています。
ですが、一方で、そのように、自らの恐れや不安に基づいて無意識に制限をかけている事に対して、本当はそれらを解放したいわけです。
ジャーナリングでは、何も制限をかけずに口にしていいんです。言葉にしていいんです。
自分で頭の中にある言葉を、全部ノートに書き出して、自分自身でその言葉を認めていくんです。言葉にすると、頭の中は見える化され、明らかになっていきますから、そのまま自分自身で受け止める事になるんです。
ただ、言葉にして書いていくという作業が、そのまま自分の思っている事を認めていく事になり、自分で自分の言いたい事、口にしたい事を聞いてあげる事につながるんです。
つまり、ジャーナリングによる「セルフ傾聴」だという事です。
セルフ傾聴をする事で、自分の頭の中にある事を書き切って、吐き出して、口にして、そして、しっかり聞いてあげるんです。それで、頭の中は解放され、スッキリして、快適になるんです。
人は、そのような頭の中の解放を、また、スッキリを求めているんです。
それを、ジャーナリングがセルフ傾聴という形で実現してくれるんです。