ジャーナリングで自由にものを書いていくわけですが、何かを書いていくには、頭の中に書くための材料がないといけないわけです。
実際、書くための材料の断片は頭の中にはいっぱいあって、ただ頭の中に沈殿している場合もあるわけです。だから、それを多少かき回して浮かび上がらせて拾って、言葉の断片として使っていく、そういう風にして、何かを書いていくわけです。
頭の中の断片を拾い上げながら、考えて、言葉として並べていくわけで、ジャーナリングとは考えることでもあるんです。何も考えずにジャーナリングを始めたとしても、自然と考え始めるんです。
言葉の断片を拾い上げて、思考して、言葉にして、書いていく。このようなプロセスによってジャーナリングは進行していきます。
それは、道を歩いていくようなもの。ただその道の先にはっきりと目的地があるわけではなく、道なのか道でないのかさえ、よく分からない中を自分の足で歩いていくようなものです。
歩いていくことで、歩いてきた道が道であったことに気付くような、そんな道です。
でも、歩きながらその道を一歩一歩確かな道に舗装して、自ら道を作っていくようにして、歩いていくのです。
道ははじめからあるわけではなく、歩いているうちに道になっていく、そんな道です。
ジャーナリングはただ言葉を書くだけではなく、自分の中の言葉の断片を拾い上げて、頭を使って考えて、意味を成す言葉に仕立て上げていく。そういうプロセスです。
頭は自ずとジャーナリングに集中していくわけです。意識は言葉とともにそこへ研ぎ澄まされていくんです。
その意味で、ジャーナリングは何気なく始めたとしても、そのまま漫然と進んでいくわけではなく、ある段階から、自らの思考とともに、没頭の領域に入っていくのです。
没頭の領域に入っていくと、言葉は自分の言葉らしく整然と並んでいくわけです。自分の道として、確かに舗装されていくわけです。
たまには、途中でその道に立ち止まることはありますが、それでも、さらに言葉の断片を拾い上げて、歩みを進めていくのです。
没頭の領域は、快適な時間であり、空間でもあります。その中で、自分の言葉とともに進み、自分の言葉を使って言葉を並べ、道を作り、その先に歩みを進めていくわけです。
確かにはじめは何もなかったわけですが、ジャーナリングを進めていくとともに、言葉と思考を使って没頭の領域に入っていくわけです。そして、自分の言葉で自分の道を舗装しながら歩んでいくんです。