毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分にとっての「確かさ」を人は求めている。

人は確かさを求めています。自分にとっての確かさを求めているんです。

 

万能ではないかもしれないし、科学的に正しくもないかもしれませんが、自分にとってそれが確かで、信じられるものであれば、それで十分です。

 

それは、真理でもないかもしれないし、真実でもないかもしれません。でも、それが、自分にとっては有効で、実行性があれば、それで十分なんです。

 

自分にとって何か信じるに足るものであれば、それで十分なんです。

 

そのような、確かさを求めているんです。

 

できれば、科学的根拠があれば、それはそれで嬉しいですが、科学者としての仕事をどうしてもしたいわけではないですから、科学者の仕事は科学者に任せて、自分自身をそれが支えてくれて、自信を与えてくれるならば、それで十分なんです。

 

そこに、絶対的確実さ、が、本当に必要かというと、実はそうではないかもしれません。

 

絶対的に確実でなくても、それが自分自身にとって信じるに足る事であれば、それで十分かもしれません。

 

 

自分自身の心を支えてくれるならば、強力な支えになってくれるならば、それだけで案外十分かもしれません。

 

その意味では、その確かさは、自分にとっての確かさであって、信じるに足る確かさであればよく、自分がそれを信じて、そして、その事で自分が支えられ、自分自身を強くしてくれるならば、それで十分かもしれません。

 

自分自身こそがそれを信じ、確かに、その事が自分自身を支え、実行性を与え、確実に何かを自分自身に成し遂げさせてくれるならば、それで十分かもしれません。

 

例えば、それを手に取り、手で触ってみて、それを動かすとそのように動き、違う方向へ動かしてみると、確かにその方向に動く、そのようにして、確かに実行性を与えてくれるような、そんな確かさを求めていると言えるかもしれません。

 

きっと、それはそんなに大それたことではないんだと思います。自分にとってそれは、確かであって、確実であって、その事で自信を持ってそれをしんじられるならば、もうそれだけで十分なんです。

 

自分にとっての確かさは、生きていく拠り所になります。たとえそれが些細なことだとしても、それが自分にとって確かであれば、それを足場にして、そこで立ち、そこから一歩前に踏み出す事が出来ます。

 

宇宙空間の中で、自分にとっての確かな足場が、自分を自立させてくれます。それが自分の確かな世界を作る事につながるんです。

 

そんな確かさを、人は求めているんです。