世の中にとって、何に意味があるのだろうか。人は生きるという事にこそ価値があるという事であれば、例えば、仕事などで考えれば、病院や教育に関わる仕事は分かりやすく意味があり、そうでないものは意味が無いようにも思えます。スポーツやエンタメなどは、エッセンシャルワークからは遠いわけで、意味は薄い事になります。
ですが、現代は資本主義経済であるわけで、経済を支えているという意味では、スポーツもエンタメも十分に貢献しています。それどころかそれらは巨大な市場を持っているわけで、むしろ経済が人類を支えていると考えると、それらの方が意味があるという事にもなります。
人は、生きる意味を感じながら生きる生き物であり、主観的ウェルビーイングを構成する5つの要素のうちのひとつに「生きる意味」が挙げられています。
とは言え、生きる意味に、世界共通のもの、人類共通のものというのはあるのでしょうか。きっと無いと思います。生きる意味に普遍的なものは無く、あるか無いかという意味では、無いんだと思います。
人には各々生きる意味を感じながら生きているわけですが、それは意外と言葉に出来るほど明確なものではなく、漠然と意味を感じながら生きているわけです。ですが、自分の生きる意味を失ったと感じたとき、生きていく事が困難になります。
ですが、実は生きる意味に支えられていたと思っていたものは、よく考えたら無いんです。自分自身を支えていたはずの意味なんてものは実は無いんです。
あるとすれば、それは主観的なものです。自分自身にとって意味があると感じられる事であれば、それは意味があるし、意味が感じられない事には意味は無いわけです。それらは、主観的に感じられるかどうかです。
ですから、自分自身を支える「生きる意味」はそもそも無いわけですから、意識的に自分自身にとっての生きる意味について考えてみる事です。
自分でこれは意味があると感じられるならばそれは大切にするべきだし、それが自分の中に育っていきます。そして、自分自身で創り上げた意味によって支えられて生きていく事が出来ます。
この世の中に、確かな意味なんてありません。人の人生を支える、絶対的な意味なんてありません。あるのは、主観的な意味だけです。
ですから、生きる意味が無いと感じて生きづらく感じる時は、そもそも意味なんて無いわけですから、自分自身で何に意味を感じるか考えてみたらいいんです。そうすれば、それが自分の中に育って、自分自身を支えてくれます。