人は行動し、行動を変容させながら生きていくわけですから、どんな時も、何をするかで切り開かれていくわけです。
する事は、大それたことである必要は無くて、それを自分がやっているならばそれで十分です。
それをやってそれが出来ればそれで十分で、出来る、と言っても、ただ出来ればいいわけで、そこに、優劣さとか精度とか、そんなものはどうでもいいんです。
もし精度にこだわるなら、こだわったっていいんです。こだわった分だけ、そのスキルは上がるだろうし、上がる事で、その結果も、そして、楽しみも増えると思います。
何か行動して、それをやって、やる事で必ずフィードバックはあって、学ぶことがあるわけです。
そこに、意識的なフィードバックもあれば、気が付いたら身についているという事もあり、それはどちらでも良いんです。
やった分だけは、自分に返ってくるんです。
そして、その行動に伴う体験は、確かにそこにあって、リアリティがあって、全身が感覚とともに体験しているわけです。
私たち人間は、あらゆる体験をリアルタイムに通り抜けながら、体験との間のインタラクションがあって、変容を迫られるわけです。
自分自身は鏡で見ていると、毎日いつもと変わらない自分がそこに居るわけですが、実際には、常に変容を迫られ、柔らかい自分が居るわけです。
インタラクションの無い日は1日もなく、常に何かとインタラクションしていて、常に変容を迫られているわけです。
ですから、体験はただでは済まず、何をしても、体験を通り抜けた後は、違う自分になっているわけです。
もちろん、みな同じで、みな常に、何かを体験して、インタラクションをして、そして、変容を迫られていて、日々、変容としているわけです。
諸行無常の世界ですから、容易に変容する私たちが作る世界は、互いにインタラクションしながら、互いに変容し、常に世界を作り変えているわけです。私たちは、変わらない世界には住んではいないんです。
世界が、どのように変わっていくのかも分からず、自分もどのように変わっていくのかも分かりません。変容するポテンシャルはあって、変容する私たちは、何かをしながら、その体験とともに柔らかく変容するわけです。
世界は、その結果、より大きなダイナミズムを持って変容しているわけです。
人は何をしたっていいんです。何をしたってフィードバックがあって、体験があって、体験とともに変容を迫られ、常に自分は新しく生まれ変わるわけです。