人は適応しながらこの世界で生きていけるようになって、でも、いつまでも適応し続ける事はできません。
適応し続けようと思えば、自分の生きている環境に上手く自分を適合させ続けて変容し続ける事も出来なくはありません。人間は適応し、変容して、学習していく生き物ではあります。
若いうちはまだ自分が十分に形成されていなくて、まだ自分というものが確立していないですから、周りの環境に適応していく事で自分自身になっていく事ができるわけです。
実際には、そのプロセス自体は容易ではなく、自分自身に刻み込んでいくようなものではあるので苦しくはあるわけで、それでも、自分自身を形成させていく事は出来るわけです。
ですが、自分自身が十分に形成されていくと、自分というコアが自分の内部に出来上がってくるため、今まで外部に適応しながら上から重ねるように自分自身を形成させていたのが、いつの間にか自分のコアがそれに反発し始めるわけです。
自分のコアが自発的に活動を始めるわけです。
外部の環境からの変容の要請と、内部からの自発的な活動とが、反発するわけです。その結果、自分自身が、外部と内部の間でジレンマを引き起こすわけです。
言い換えれば、ある程度の年齢まで来ると、さすがに、自分自身の事は自分で考えるようになるという事です。
今まで、周りの環境に合わせて、それに必要な事を満たすように自分を変容させ、適合させ、それと同時に自分自身を形成させてきたわけですが、内部に自分自身のコアが十分に育ってしまうと、それ以上の適応を、内部の自分が拒むわけです。
内部の自分が、これ以上盲目的に適応し続ける事が自分にとって良いのか、考え始めるわけです。
自分自身はどうやって生きていくのか、自分自身は何をしたいのか、どうありたいのか、色んな事を考えはじめ、それらの声を無視できなくなるわけです。
周りの世界しか見ていなかった自分から、自分自身を見る自分に変わってくるわけです。そして人間は、自分の為に生きる事を選択するわけです。自分自身の事について自分で意思決定をするようになるわけです。
これまでは、世界の為、周囲の環境の為に自分を適応させてきたわけですが、これからは、自分の為に選択し、決定するようになるわけです。
外の世界は巨大ですが、内部に形成された自分も巨大です。そして、ますます巨大になっていきます。この巨大な自分とともに、この先生きていかなければなりません。
そのようにして、人は自分自身になっていくわけです。