毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は自由を求めて生きる。

人が自由に生きる、ということにはいろんな意味合いがあります。経済的に自由になる事も自由のうちだし、主体性を持って自分の人生に責任を持って生きるようになる事も自由のうちです。

 

人は独りでは生きていけませんから互いに協力しながら相互扶助的に生きているわけで、その意味で、人間社会の中で生きていく事は不可欠であるわけです。

 

ですが、人間社会の中に埋没し過ぎると、周りの人たちに過剰に適応する事になって、自分自身がどのように生きたいのか、何をしたいのか、考えられなくなります。

 

生きていく事に不安や心配があると、自分でどう生きるか、という事について心の余裕を持って考え、決める事が出来ませんから、その意味では、心理面での自由はとても重要であるわけです。

 

いかに不安を取り除き、安心して生きていけるか、この事は、個人一人の問題ではなく、社会全体の課題であるわけで、あらゆる社会の仕組みは歴史とともに発展してきたわけですが、それを担保する一つの手段がお金であるわけです。

 

経済的に自立する事が、現代の社会においては重要で、お金というものが、いろんな場面で便利に使えるわけです。

 

家も変えるし、車も変えるし、生計も成り立たせる事が出来るわけです。

 

物質的に、また、身体的に、不安が無い事は、まず最も重要な事で、この事を無くして、自由に生きるという事は、動物としての人間としては難しい事です。

 

動物としての人間は、生存する為の適応性を持ち、環境に適応できる能力を生体として持っていますから、自分が置かれた環境においては、その環境で生存できるように、安全を確保するわけです。

 

この適応性は、動物としてある種の本能であり、優先事項であるわけです。心理的な自由の前に、身体的な安全の確保、あるいは、防衛が優先されるわけです。そこに、人間の求める自由はありません。

 

そのような状況の人間が集団を形成した社会では、人間は互いに関わり合いながら適応し合うわけで、その中で個人の自由を求め、獲得し、行動し、実践する事は難しい事です。

 

人間は生き物でありますから、種を超えて個として生きる事は難しいわけです。

 

とは言え、そのような性質でありながらも人間は自由を求めていて、人間の活力は、心理的な自由に基づいているわけです。それが結果的に社会全体にも良い影響を与えるし、そのようにして、社会は発展してきたわけです。

 

社会は、時代とともに、ゆっくりとではありますが、個人が自由に生きる事が可能になるように発展してきたし、その間も、常に人々は自分の自由を求めて生きてきたわけです。

 

それでも、その時代で生きる人々にとっては、その時代の制約の中でもがき、乗り越え、それ相応の自由を獲得してきたわけです。そして、今もなお、さらなる自由を求めて、人は生きているわけです。