毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

過剰適応する自分と自己変革。

人間は、他の生物と同じく、環境に適応して生きていきます。人間は環境の中でしか生きられない生き物ですから当然です。環境に適応すること無しに生きていく事なんてできません。

 

人は働きながら、会社などをはじめとして様々な組織の中で、周りに適応しながら生きていきます。別に、働くということでなくても、周りの人に合わせながら生きていくのは当たり前ではあります。

 

働くのは、社会がちゃんと回っていく為に自分も社会の一員となって支えるという面もありますが、自分自身が生きていく為にも働いていくわけです。

 

会社をはじめとして、組織の中で上手くやっていく為には、周りに適応しながら生きていくわけですが、過剰に適応してしまう事も多々あって、その場で求められる役割を演じるのに疲れやストレスを感じるのはよくあります。

 

ただ、あまりに過剰適応になると、上手くやっていく為に演じている自分に自分自身が不自由になって、それがつらくなってくるわけです。

 

もはや、周りが原因ではなく、過剰適応している自分が不自由の原因であるわけです。

 

そうなると、演じている自分自身を違う自分に変えたい、という思いが強くなります。

 

昆虫は、成長していくとともに変態します。自分自身の殻を脱ぎ捨てて、新しい自分に変身するわけです。自ら脱皮するわけです。

 

人間も、昆虫と同じです。自ら自分自身の殻を脱ぎ捨てて、自ら脱皮して、自ら変革を起こす必要に迫られるわけです。

 

環境に適応するのも生物の普通であるなら、過剰適応になってしまうのも生物の普通です。自ら変身するのも、生物としての普通の事であるわけです。

 

そのようにして生物は進化してきたわけで、古来より生息する昆虫ですら自ら変革するわけです。比較的に最近出現した、新しい生物である人間も、自ら変化しないわけにはいきません。

 

環境の中で、環境とともに生き、環境に上手く適応しながら生きていくわけです。適応性を備えた人間は、適応する事を運命づけられながらも、過剰適応に陥るとともに、自ら変革を起こす段階がやって来るわけです。

 

一体どのように自己変革するのか。それは、人それぞれであり、どのように変革していくのかは多様極まりない事です。自分だけの、自分独自の変革を起こすという事です。

 

単線的な適応は続けられません。いかに、高い適応性を備えていようと、いずれ破綻します。自らの適応性で苦しみ、その適応性を乗り越え、自らの殻を破り、脱ぎ捨て、脱皮していくわけです。自己変革が必要であるわけです。