人はどこかで、何かしら変化を求めているものだと思います。とは言え、簡単に変化する事は、現実的にはできない事も多く、今を大切に、そして、これまでの事も大切にしながら、それらとともにこれから先の事もあるので、変わりたいものの、容易に変われない事も知っています。
ですが、何か変化し、発展していきたいとも思っています。
色んな大切なものは、今もたくさんあるし、これまでにもたくさん積み上げてきたと思います。モノだけではなく、有形無形のあらゆるものが、大切なものとしていっぱいあるんだと思います。
あり過ぎて、どれを大切にして、どれをどのくらい大切にしていいかも分からないくらい、手に余るくらい、たくさんの大切なものが、過去から今に至るまであるわけです。
ただ、人はどれだけのものを、実際に、手に取って、大切に保持できるのでしょうか。たくさんあり過ぎて、どれも大切であるようで、何が本当に大切か、よく分からないくらいです。
実際のところ、大切なものは幾つかしかないかもしれません。そして、幾つかしか大切にできないかもしれません。たくさん大切なものがあったとしても、それらを十分に大切に保持し、大切に扱えないかもしれません。
それより、一握りのたいせつなものを、より大切にする事の方が現実的かもしれません。
これから、変わっていきたいと求めるのであれば、なおの事、大切なものは全部引き連れて大切に保持していく事は難しいかもしれません。
新しい変化、新しい発展に向けて、大切にしていくものを大切なものとして扱っていくのならば、そのスペースは確保しておく必要があって、これまでの全ての大切なものは保持できないのかもしれません。
とは言え、意外にも、今まで大切にしてきたものは、手放せるのかもしれません。思っているより多くの大切だと思っているものは、実は手放せるのかもしれません。
手放せないと、無意識に信じていたものは、実は、容易に手放せるのかもしれません。むしろ、自然と手放せるのかもしれません。
そして、すでに、大切なものはすでに手放していなくて、いつもそばにあって、手放すも何も、大切なものはちゃんと大切なものとして普通に保持しているかもしれません。
そう考えると、思っていたより多くのものは、案外容易に手放せるのかもしれません。
むしろ、手放すもの何も、自分が自然と保持し、自然と片手で持てる程の幾つかのものを大切にしていて、その他は容易に手放せて、そして、新しい変化の為の潜在的な大切なものの為のスペースは、もう片方の手に空けているのかもしれません。