毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

経済的価値はありとあらゆるもの。

経済は人の活動に関わるものでありますが、それを一部代替するものとして、お金というものが存在しているものと思います。お金はあくまで代替物なので、その中に自分自身が何が価値があると思っているか、それが大事だと思います。

 

逆に、お金を代替するものとしては、市場というものがあるわけですが、市場の種類はありとあらゆるものがあって、それはモノであり、商品であり、不動産であるわけで、また、あらゆる資源も市場になりうるものであるわけです。

 

資源は、それが経済的に価値あるものが潜在的に含まれるものであって、石油や水など分かりやすい資源もあれば、データや情報みたいなものも資源となりうるわけです。

 

その意味で資源というものは、潜在的には、地球にあるものであればありとあらゆるものを含み、また、人間が関わるものであれば、ありとあらゆるものが含まれるわけです。

 

それは、物資的なものも含み、また、非物質的なものも含むわけです。

 

市場というものに、それまで市場に無かったものが参入したならば、それは市場の一部になるわけですから、市場というものはその分だけ大きくなるわけで、その意味では、市場はいくらでも大きくなる可能性があるわけです。

 

また、いっけん無価値だと思っているものが、例えばゴミみたいなものですら、経済的な価値が与えられたならば、また、経済的な価値があるとみなされたならば、とたんにそれは市場の一部となる可能性があり、その事によって市場は大きくなる可能性があるわけです。

 

そのように考えると、人間がそれに経済的な価値があると認めるならば、それが何であれ、市場の一部となり、そして、経済は大きく成りうるわけです。

 

インターネットやグローバル化は、有形のものから無形のものまで、ありとあらゆるものをつなぐことが可能であるわけですから、経済は常に大きくなる可能性を含んでいるわけです。

 

その意味では、お金として相当するものを、どのような形態として持っていたとしても、それが、現金であれ、銀行の口座の中の数字としてであれ、株としてであれ、不動産としてであれ、金や銀としてであれ、何であれ、それは経済的に価値があるわけです。

 

同時に、身体的に健康である事も、それに価値があり、労働としての潜在的な価値があると見做されれば、当然身体も経済的に価値があるのであり、人間それ自身で経済的に価値があるわけです。

 

個人としては、自分自身が何に価値を感じているかが重要であって、そのような事に価値であって、経済的価値があるとも言えるわけです。