毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

お金はあくまで代替物。交換可能性があるが、絶対的価値はない。

お金は何においても代替物。人間にとって、お金そのものに絶対的な価値はない。そう思います。

 

お金が便利である事は確かです。お金があれば、家に住む事を可能にするし、車に乗る事を可能にするし、服を着るのを可能にします。でも、あくまで、何かをする事を可能にするのであって、その「何か」の代替物でしかありません。

 

健康はお金で買えるという気もしますが、お金で買えるというよりかはお金で健康になる事を可能にするという事です。その意味で、健康の為にはお金があった方がいいですが、それもあくまで代替物としてです。

 

そして、健康に関しては、あくまでお金は健康の為であって、健康はお金の為ではありません。確かに、健康であればお金を稼ぐことが出来るという意味で、健康はお金の為という論理も成り立ちますが、健康によって稼いだお金の何が良いかって、結局他の何かの代替物になるからです。

 

とは言え、代替物としてのお金の価値を否定しているわけではありません。代替物ですから、社会の中で色んなものと交換できます。上で言ったように、住む為の家に交換できるし、移動する為の車に交換できるし、着る為の服に交換できます。かなりのモノに交換できるわけですから、それ自体に絶対的価値は無いとしても、価値はあります。

 

ただ、代替物としてのお金とは言え、ありとあらゆるものの代替物というわけにはいきません。健康をお金によって得る可能性はありますが、確実ではありません。また、つらい気持ちはお金で解決できる可能性はありますが、確実とは言えません。知識を得たいと思って本を買う事は出来ますが、それで知識が身につくかというとそうとは限りません。スポーツをしたいからと言って、スポーツをする為の道具を買う事は出来ますが、スポーツをすぐに上手に出来るようになるとは限りません。交換可能のモノの範囲には限りがあります。

 

ひょっとしたら、お金の交換可能性は原理的には制限がないかもしれませんが、現代の時点ではまだ十分ではないかもしれません。もっと歴史が進んで、経済が発展すれば、お金の交換可能性は上がっていく可能性はあります。ただ時代が追いついていないだけかもしれません。

 

ですが、それでも、お金はあくまで代替物です。それは確かです。

 

お金は価値はあります。お金はあらゆるものとの交換可能性があります。ですが、あくまでお金は代替物であり、絶対的価値はありません。その事は忘れないようにしましょう。