人間は意識を集中させる事で生を感じることができるわけであるが、その時初めて、人間としての時間を感じる事が出来るわけです。
空間というものを考えた時に、人は空間の中を生きているわけですが、その空間が自分にとって快適で過ごしやすいならば、その空間で過ごす時間は有意義に感じられ、その時初めて人間としての時間が生まれるわけです。
一方、その空間での時間が不快で過ごしづらく、心も逸り落ち着かず、生きた心地がしないようであれば、その時間は無駄であり、無意味であり、自分にとって価値のない時間です。そのような空間では時間は必要なく、むしろ無い方がよく、つまり、人としての時間は無いに等しいわけです。
つまり、時間というものは、心地良い空間であれば有意義な時間となり、不快な空間であれば無い時間と等しく、時間は空間に依存しているわけです。
言い換えると、時間は空間から派生するものであり、空間こそが重要なわけです。時間は空間に付属するものと言えるわけです。
人は意識を集中させ、何かに注意を向けている時、生きた時間を過ごしているのであり、一方、意識が散漫な時というのは時間は失われているわけで、こういった事も、意識によって時間は生まれるという事を説明しているわけです。
当然、意識は身体に基づいて生まれ、身体という空間の中に意識はあるわけですから、空間としての身体がどのような状態であるかという事が、意識にとって重要なわけです。
空間としての身体が不快であれば、その状態は悪い意味で意識の状態に影響するし、心地良い状態であれば、良い意味で意識の状態に影響するわけです。
身体を取り囲む環境は、身体の外側にあって、身体を含む空間と言えますが、その空間をどのようにデザインするかによって、身体の状態は快になったり不快になったりして、そして、意識の状態にもその影響が反映するわけです。
そのような意味で、空間が人間にとって重要であり、いかにより良く空間をデザインするかによって、意識の状態は左右されるわけです。
そして、意識が何かにコミットしたり、集中したりする事によって生きた時間を作り出すわけで、その時はじめて人間としての時間が生まれるわけです。
意識は身体に依存し、また、意識は身体という空間に宿っているわけで、その空間が自分である意識に生を与えてくれるわけです。そして、同時に、生を感じられる時間が、自分である意識によって生み出されるわけで、その意味でも、意識が宿っている空間をどうデザインするかがとても重要だという事です。