毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

メディアの力。誹謗中傷や匿名の問題。

最近、「誹謗中傷」というワードが注目されています。テレビなどで活躍していたタレントが誹謗中傷に耐え切れず自殺するという出来事があったことが1つ言えると思います。誹謗中傷の発言の多くは、ツイッターなどでのSNS上での匿名な人たちから為されるものです。よく匿名でのネット発言は無責任な発言になるから良くないんだと非難されることもあります。なぜ、誹謗中傷のような事が起こってしまうのか。そして、匿名を禁止することが誹謗中傷を止めることができると思われるのだろうか。

 

テレビなどのメディアで仕事として活躍している芸能人やタレントが、テレビを通して一言コメントしたり、また、自らツイッターなどでつぶやいたりすることで、世間はそのコメント、ワード次第では、批判や避難を引き起こします。それは何故なんでしょうか。メディアとは一体何なのか。まず、この点を考えてみましょう。

 

メディアとは、情報であり、言葉です。人と人の間で、意思疎通やコミュニケーションで使われる媒体です。テレビからタレントが発言するコメントは視聴者に届きますから、テレビはメディアと言えます。また、ツイッターなどのSNSのつぶやきは、インターネットを媒介してSNSを利用している人たちに届きますから、SNSもメディアです。テレビの場合は、方向性はテレビから視聴者への一方方向で、SNSは、参加すれば誰でも発言が届けられるし、発言もできるという意味で、方向性は双方向です。インターネットがその方向性を可能にしていて、実際には、SNSは直接双方向に発言を届けあっているわけではなく、インターネット上にアクセスすることで発言を見に行くしくみになっています。インターネットこそがメディアの中心的機能を持っています。

有名人がメディアを介して何かを発言したとき、言葉でなくても、表現したものを発信したとき、メディアにアクセスしている数多くの人々は、その発言を受け取ることができます。それは、良い印象の場合もあれば、悪い印象の場合もあります。そして、悪い印象を受けた場合、これに反応して、批判や誹謗中傷に相当するワードが、同じように、メディアに発言として発せられます。メディアは、アクセスすれば誰でも参加できますから、その拡散性は高いです。このようにして、気分を害した誰かのとるに足らないはずのつぶやきが、誹謗中傷となってメディアで拡散していくのです。

 

メディアの仕組みを、市場の仕組みとして考えてみましょう。インターネット上で拡散する無限のコメントは、人に影響を及ぼします。人が、価値ある本を読むとき、重要な情報を新聞で仕入れるとき、その時、その情報には価値があります。これと同じです。インターネット上の情報は価値があります。価値ある情報は高値で売れるわけですから、情報は市場の価値です。では、どんな情報に価値があるのか。NHKから発せられる情報には価値があるのか。日本経済新聞の情報は価値があるのか。大統領や内閣総理大臣が決定した政策上のコメントの情報に価値があるのか。知らない人がぼそっと一言放った言葉に価値があるのか。すべて同じくメディア上の情報です。情報は情報源の信頼性に基づくのです。情報源の信頼性はどのように決まるのか。その人が自分にとって重要か重要じゃないかです。自分に影響を与える人の情報には耳を貸しますが、とるに足らない人の情報には耳を貸しません。そして、知っているか知らないかです。よく知っている人の発言には人耳を貸します。そして、知らない人の発言には耳を貸しません。そのような意味で、芸能人やタレントなどの有名人には、人は耳を貸してしまうわけです。このような影響力を持った人は、一般にインフルエンサーと呼ばれています。そして、インフルエンサーが発したワードは、その内容の良し悪しに関わらず、影響力を持ちます。これが、メディア上でのインフルエンサーの力です。そして、インフルエンサーはもはや市場の価値を持っています。インフルエンサーの発言は、高い値段がついているわけです。テレビやインターネット上で活躍する人々は、インフルエンサーであり、経済的にすでに高い価値を生み出す存在です。インフルエンサーは、市場の観点から、仕事上の職業と言えます。

 

そして、同時に、メディアは市場であり、消費者もいるわけです。消費者はメディア市場にもちろん参加してきます。ビジネスチャンスを狙っている人もいるでしょうし、本当に価値ある情報を探している人もいます。また、インターネットなどのメディアはだれでも参加できるという特徴を持っています。これがインターネットのメディアの力の所以です。その消費者が消費者として何かを消費するとき、名前を公表するでしょうか。しないでしょう。人がテレビを見て、車の宣伝を見る時、見るためにわざわざ名前を公表しません。人は一般にメディアに参加するとき、わざわざ名前を公表しないのです。もし、インフルエンサーのように、自分のメディア上での価値を高めたい場合、名前を公表する方が有利に働くならば名前を公表するでしょう。でも、メディア上の自らの価値を高めようと思わない場合、名前はわざわざ公表しません。

 

例えば、ほりえもんやイケハヤのようなビジネス目線の人々は、この仕組みを理解しています。インフルエンサーの意味を理解しています。ですから同時に、批判や誹謗中傷が引き起越される事実を理解しています。そして、それらがビジネス上無価値であったり、場合によって、価値を高めることに利用できることも知っていますから、全く気にしていません。さらに、匿名性は、メディアの市場として機能やインフルエンサーの価値の観点から、全く問題になりません。むしろ、匿名性を禁止することによって多くの人のメディア参加の閾値が上がるくらいだったら、匿名は匿名のままが良いに決まっています。メディアという市場の規模は、人々がどれだけ参加できるかにかかっているわけですから。

 

現在は、間違いなく、市場原理に基づいた資本主義経済を中心として世界は回っています。インターネットなどのメディアの力は間違いなく、このシステムを促進しています。市場やメディアのしくみがより機能していく事を考えると、匿名性は無くならないのが自然のように思います。

 

しかしながら、誹謗中傷は人が死に至る威力を備えていることも事実です。銃規制をして治安を鎮めるように、何らかの規制をしてネット上の誹謗中傷を抑止する手段は社会として必要でしょう。メディアの力は時におそろしいもので、ビートルズのジョンレノンも自身のカリスマ性により一般のファンに銃で撃たれました。これもジョンレノンがインフルエンサーであったことの所以です。メディアの力はおそろしいものです。ですが、人間社会では、厳然たる事実として、殺人事件もあるし、ネット批判もあります。良い悪いではありません。社会としてどうしていくのかという大きな問題ですし、人間自身の性質に基づくものです。

メディア上の問題は、今後もっと大きくなっていくと思います。経済上の人類の繁栄と、人間の性質が大きくかかわっているからです。個人個人が、この時代にメディアとどう付き合って生きていくのか真剣に考えなければならないと思います。