毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

情報を資源として哲学する。

考えるという事を可能にする最も重要なものは、言葉です。言葉を駆使して、考える事と言葉とをセットにして、展開する。哲学とはそういうもの。

哲学するには、思考と言葉が要るわけで、現代の言い方で言えば、情報も要るわけです。

情報とは、テレビであったり、インターネットであったり、本であったり、とにかくありとあらゆるメディアだったりするわけです。

自分たち人間は、資源を常に必要とし、現代であれば、哲学をするなら、情報を、文字を、言葉を、資源として必要とするわけです。

もちろん、情報に頼るだけでもなくて、自分の中に蓄積された知識や考えも活用します。

頭の中にあるもの、わいたもの、色んなものを、言葉として表現して紡ぎ出し、発展させていくわけです。

もちろん、思考する事も哲学するのに重要で、考える力が、言葉の使い方にも影響します。

頭の中にゲシュタルト的に形成された、思想や概念も、もちろん、積極的に、哲学するのを助けます。自分の中に以前までなかった概念、つまり、哲学が、今新たに活用できるわけです。頭の中のゲシュタルト的に哲学が形成され、構築されていくわけです。

それは、ものの見方です。ゲシュタルト的に構築した哲学が、新たなものの見方を作ります。自分の中のゲシュタルトですから、そのものの見方は自分だけの見方であって、自分だけの哲学であるわけです。

そして、それも、思考と言葉により、形に表すわけです。頭の中にあるゲシュタルト的概念も、言葉として言語化された哲学に、取り扱える形に書き表すわけです。

それは、アナログなものをデジタルなものに書き換えるのに似ています。哲学は、ある種のAD変換です。

自分の中に、自分なりの概念、自分なりの哲学、自分なりのものの見方を持たない人はいません。人は、いつだって自分だけのそういったものを自分の中に持ち、それに基づいて、世界を見て、世界と接しています。それが、人間です。

ですから、世界にある情報は、いかようにしても資源になります。ありとあらゆる形態のメディアから来る情報が、資源になります。そのような資源と向き合い、いかに変容を余儀なくされても、それでも、情報という資源を上手く使い、上手く付き合い、場合によっては選択し、自分の中での哲学を構築するんです。

情報過多のこの時代、無意識であれ、意識的であれ、情報の影響を受けます。情報の影響を受ける人間は、それを資源とします。ですから、それらの資源を上手く使い、言葉にし、思考し、哲学するんです。そして、この情報の世界とともに、生きていくんです。