毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「一生懸命生きる」という生き方に価値がある。

例えば、大リーガーの大谷翔平がホームランを打つ事を、多くの人は期待しています。そもそも、そんなに野球を好きでない人ですら、大谷翔平に釘付けになるわけです。

 

スポーツは、現代では仕事として十分に成立していて、そこに金銭が支払われ、大きな市場があり、経済に大きく貢献しているわけです。

 

確かに、大谷翔平の頑張っている姿を見たいし、圧倒的な打力を見たいし、応援したいわけです。勇気をもらえるし、エネルギーをもらえるし、確かに、そこに人が求めているものが発生していて、つまり、金銭が発生するわけです。

 

つまり、金銭が発生する仕事には、エッセンシャルワークだけではなく、市場が生まれ、経済に寄与しさえすれば、そのような事も含まれるわけです。

 

その意味で、そのような仕事は、現代ではたくさんあり、多くのエンターテインメントをはじめとして、アイドルであろうが、棋士であろうが、応援の対象であれば、あるいは、エネルギーをくれる、また、勇気を与えてくれる対象であれば、何でも成立するわけです。

 

人は自分の事でなくても、自分をエンハンスしてくれる存在を求めています。最近で言うところの「推し」であり、好きな対象は金銭を払うに値するのです。

 

確かに、人は、一生懸命な人を見たいし、まじめに、真剣に取り組んでいる人を見たいし、命を懸けて頑張っている人を見たいんです。それを見ているだけで、元気が出てくるんです。そのような仕組みを持っているんです。

 

ある意味で、自分も、必死に生きていて、真剣に生きていて、生きるのにもがいていて、生きるのに苦しんでいて、それでも死にそうになりながら命を懸けて生きているからかもしれません。

 

何か、自分に重ねているからかもしれません。

 

現代では、人は、一生懸命に生きる事、必死に生きる事、真剣に生きる事、命を懸けて生きる事、そのようにして生きる事に価値があります。

 

そのような生き方に価値があり、経済的価値があります。人はそのように生きる事で市場を生み出します。そのように生きる事で、市場に貢献するんです。

 

それが人の為であれ、社会の為であれ、人類の為であれ、あるいは、自分の為であれ、一生懸命に、また、真剣に、命を懸けて取り組めば、それ自体が価値を生むんです。

 

確かに、そのような生き方は輝いて見えます。美しく見えます。目が離せません。意識がそちらに向きます。

 

人は生き生きと生きているものを見たいんです。「生」を感じたいんです。「生」を求めているんです。