人は主観的な生き物で、いつも「今」を生きています。
時間が絶え間なく流れる中で、「今」を生きているのです。
そして、今こうして過ごしながら、未来のことについても考えています。
未来はいつだって未来のままで、今からの延長線上の先のことでありながらも、今この瞬間には決してやってこないにもかかわらず、未来のことが心配で不安であるわけです。
そして、不安や心配な未来がやってこないように、今を過ごそうとするわけです。このままだと未来は不安だから、そうならないように、今何かをしようとするわけです。
ですが、今何をしても、未来は未来であるがゆえに、不安な未来を回避できたのかどうか、決して分かりません。
だから、未来のことを憂いながら今を過ごしても苦しいばかりです。
人は、今を生きるしかなく、未来はただ想像することしかないのです。
それよりも、未来では、自分はどのようでありたいのか、どのように過ごしたいのか、希望的に考えるほうが良いわけです。
今はそのようでなくても、問題ありません。想定する未来と、今の状況にギャップがあっても、そのギャップをどのようにしたら埋められるのか、具体的に考えることができます。
そして、そのギャップを埋めるためには、今何ができるのか、今から何をしていけばいいのか、そういったことを考えることができます。
何をすればいいかが定まれば、実際に今、何をやって、どのように過ごすかが決まります。
人は、今しか生きられないわけですが、想定した未来に向かって、今を何をし、どのように過ごすかを変えることができます。
その意味で、人は、どのような未来を描き、そして、今どのように生き、どのように過ごすか、という形で、未来と今を生きることができるわけです。
私たち人間にとって、未来と今はそのように想定することで、時間軸における未来に向かうベクトルをもって生きていくことができるのです。
今しか生きられない人間にとって、未来は決して今体験することはできないですが、今の時点から過去を振り返ることはできて、その時に想定した未来は、今現実のものになっているのかどうか確認することはできます。
そして、大抵の場合、過去に想定した未来は、今現実のものとはなっていないわけですが、それでも、当時の状況とは今は変わっているわけです。
想定通りではないとしても、当時の状況から軌跡を変え、未来に向かって確かに歩んできたことを確認できるわけです。
人はそのようにして、未来と過去の間で、いつだって今を生きているのです。