毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

習慣に向いている事とそうでない事。頭と身体。

習慣を身につけていく事は、自分自身を進化させていく事において重要な事だと思っていますが、何でもかんでも習慣に出来るかと言うと、そうでもないように思います。習慣とは、目標としては、自動的に出来るようになって継続していけるようになる事ですから、変化とか進化とかの観点では、身につけた習慣を何も変えずに続けていても、進化は起こりません。

 

そこで、自分が行っている習慣について振り返って、習慣に向いている事、そうでない事を考えてみたいと思います。

 

まず、朝のテレビ体操です。これは、毎日の軽い運動を維持するために行っているもので、血行不良や頭痛防止のために、さらに言うと、体力の維持の為にやっています。ただ、テレビを見ながら体操を真似るだけなので、特に労力もかからず、ただその時間にテレビの前に向かえば出来ます。このような、特に頭を使わずに、同じことを続ける事は、習慣にするには向いていると思います。

 

次に、朝のサラダとフルーツヨーグルトの準備です。冷蔵庫から野菜や果物を取り出して、包丁で適度なサイズにカットして、お皿に盛っていく作業です。その時に冷蔵庫にあるものを適当に選ぶときにどれにしようかなと頭を使いますが、大した労力はかかりません。私の場合は、朝起きてすぐ、頭がまだそんなに回らない時などにもこの習慣を行っていて、1日を始めやすく感じています。このような、頭を使わない、身体に任せてできる事は習慣に向いていると思います。

 

朝の英語のリーディングです。毎朝30分程度、最近は声に出しながら読んでいます。英語の本は、英語用の頭を使いながら読むので、それなりに大変ですが、英文をただ読むだけで、読むこと自体が楽しいので続けやすく感じます。また、どのような英語の本を選ぶかは重要で、あまり難解過ぎる本を選ぶと、内容が追いにくく頭を物凄く使って読むのがつらくなります。なので、自分にとって適切な本を選べば、英語のリーディングは、習慣に向いていると思います。

 

いつもその後に行っているのが、朝の瞑想です。いつもカーテンを開けて、椅子に座って、目を閉じて10分程度行っています。仕事に行く前という事もあって仕事に関する思考の断片にまみれる事が多いですが、多少に自分に向き合える時間になっていて、瞑想の実践自体は継続できています。瞑想の高い精度を求めず、瞑想を続ける事という意味では、これは習慣に向いていると思います。

 

あと、朝にはブログを書いています。ブログは、書く事があればすぐに書き始められますが、すぐに出てこない時はそれなりに苦労します。また、他の事に頭が捕らわれて落ち着かなかったり、頭が疲れていたりすると、書くのに時間と労力がかかります。その意味で、ブログを書こうとすること自体は継続に問題ありませんが、実際にブログを書くという事になると、それなりに頭を使うので、習慣に向いているかというとそうではないように思います。書く事に対する向き不向きの要因が大きく、個人差があるように思います。書き方を決める、書く内容を統一する、など、出来るだけ頭を使わずに書けるような工夫をしないとただ描き続けるのは難しいと思います。

 

また、イラストです。私の場合、毎日イラストを描いていますが、描くイラストは毎回違うものにしています。なので、どういうものを描こうかなと頭を使うので、習慣としてはそんなに簡単ではないと思います。ただ、私の描いているイラストは複雑で時間のかかるものではないので、思いついたらそんなに時間はかかりません。描く事自体が楽しいので、描く事に集中してしまえば、描けてしまいます。そのような意味で、イラストは、ブログと同様に個人差が大きいと思いますが、習慣には向いてはいないように思います。続けるには、イラスト自体の複雑さ、線の多さ、など描く内容を絞っておくなど工夫は必要だと思います。

 

そんな感じでしょうか。振り返ると、習慣には、頭をより使うものは向いておらず、身体を使う事が中心なものは向いているように思います。頭を使うとはこの場合、思考するという事だと思いますが、思考する事を習慣化するというのは難しいように思います。思考するというのは、創造するという事でもあるので、同じことを繰り返す習慣それ自体では出来ないように思います。習慣による創造や進化は、習慣に取り組んでいく中で、修正したり改善したり新しい習慣に変化させたりする事を考える時に起こるように思います。

 

今後、習慣として続けていきたい事については、イラストなど、特に習慣に向いていないと思う事について、書き方を決めたりしてより工夫をする必要はあるように思います。