人間は、言うまでもなく、考える生き物です。
哲学なんていうものは、そんなに難しく考えなければ、みんないつも哲学しているわけです。哲学とは、要は考えるということですから。
この世界のことに関しても、実はこの世界がどうなっているかなんてことは誰にも分からないわけです。
神には、この世界がどのようなものかを分かっていたとしても、人間には分からないわけです。
それでも、人間はこの世界について考えているわけです。
世界の成り立ちも知りたいし、世界の仕組みも知りたいわけです。
考えることは自由ですから、どのように世界を捉えてもいいし、認識してもいいんです。
この世界がどのようなものか分からなくても、それでも人はこの世界で生きているわけで、この世界に対する理解が不十分でも生きているし、生きていけるんです。
それでも、人はこの世界について考えるんです。
あらゆる知識や情報をかき集めて、それを貼り合わせて、世界の地図を想像するんです。自分なりの世界を想像するんです。
その世界は、他の人が想像しているものと違ったとしても、自分は自分の想像する世界の中を生きていくんです。
ひょっとしたら、自分の想像している世界が、他のみんなとあまりにかけ離れていて、あまりにも違う生き方になっていたとしても、それでも、人は他人の世界を頼りにせず、自分の想像する世界の中を生きていくんです。
主観的な私たちは、客観的な世界を知りたくても、客観的な世界の中を生きようとしても、主観的な世界しか生きていけません。
正確な世界の地図を知りたいし、みんなと同じ世界を生きたいとしても、やはり、自分の理解する自分だけの世界を生きていくんです。
それでも、自分の想像する世界は頼りなく、未知で、生きていくのは困難であるわけです。
そうなると、考えないわけにはいきません。一体この世界はどのようにできているのか。自分の足で歩いて、確認して、そして、そこから得た経験をもとに、自分の頭で考えるんです。
解答に辿り着けなくても、この世界を生きていくんです。自分なりにこの世界を捉えながら、常に哲学しながら世界を更新し、再構築して、世界とともに生きていくんです。
その世界は自分だけの世界です。自分だけが見ている世界です。自分が成り立たせた、自分が想像する、自分の哲学で構築した世界なんです。
そのような世界の中で、それでも考えることを続けるんです。考え続けて、世界をもっと理解するんです。