毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

慌ただしく溢れかえった情報の中で、心が落ち着いた状態で本を読む。

何故人が本を読むのかというと、本を読むためには、心が落ち着いていないといけなくて、心が落ち着いていないと全く本が読めないからです。心の落ち着きは、幸福の条件の1つであると考えると、幸福を感じられるから本を読むわけです。

 

心が落ち着いた状態で、本を読みながら、ゆっくりと考え、自分の考えを更新していき、自分の主観的な世界が新たに構築されるわけです。

 

人は行動によって自分自身を変えていきますが、自分の認識やモノの見方を変えていく事によっても自分自身を変えていけるわけです。主観性という観点からすれば、人間の行動という実践も、自分自身の世界に対する認識や認知を書き換えていく為にやっているとも言えるわけです。

 

心が落ち着いていないと、生きた心地もしないし、ただ、慌ただしく周りの環境に反応するだけになってしまうし、その過程で感情の変化が起こる、という事を落ち着きなく体験している感じになってしまいます。

 

慌ただしく、心が無いような状態では、周りに対する反応性も速く、入ってくる情報もただ反応するかのように次から次へと取り込んで、身体はそれらに反応するかもしれませんが、心はただ振り回される感じになるわけです。

 

ですから、心が落ち着いている状態で、心は周りの事や自分自身の事についてゆっくり反応して、ゆっくり感じる事が出来ます。幸せを感じられるのは、心が落ち着いている時なんです。

 

人が本を読んでいる時、よりしっかり読みたい本ほど、心は落ち着いている方が読み易いわけです。ゆっくり読んで、その事から色んな事を想起し、熟考し、自分の考えや認識を変えていくわけです。

 

自分自身の主観的な世界を、心が落ち着いている中で、想像し、ゆっくりと更新し、構築し直し、新しい世界を創造するわけです。

 

世界に対する認識や捉え方を上手く変えられれば、人は安心するし、居心地も良くなるし、その中でどうしようかということも考えられるし、まさにそこの住人として生きていきやすくなるわけです。

 

この情報化の世界で、人は情報なしには生きられません。というか、人間は情報に基づいて生きています。

 

情報はすでに無秩序に溢れかえっていて、自分なりにどの情報を選び、どのようにその情報を精査し、自分の主観的世界に組み込んでいくか、そういう事が重要なわけです。

 

何もしなくても情報は入ってきます。良いとか悪いとか関係ありません。情報と思っていない断片も人はそれを情報として取り込み、情報により自ら勝手に変容します。

 

本は人が書いたものであり、情報の1つです。1冊読むにはそれなりの時間はかかりますが、本の情報とともに、新たに考えるきっかけになります。

 

心が落ち着いている中で、ゆっくりと考えを更新する。それは、きっと人間にとって幸せな時間になるんだと思います。