人はあらゆる事を経験によって身につけていきます。経験し、それが学習となり、習慣となり、自分自身の一部になるわけです。
そのようにして長らく生きていると、学習されるものが積み重なって、習慣は強固なものになって、自分が何かしらの自分に収束していくわけです。つまり、変わらない自分になるわけです。
もちろん、絶対変わらないなんて事はありません。ですが、容易には変わらない自分になっていくわけです。
習慣の力とはその意味で恐ろしく、自分をロボットのように行動をパターン化させてしまいますから、パターン化された行動は、さらに自分を固定化したものにしていくわけです。
行動だけではなく、認知もそうです。認知も、経験と学習を積み重ねた習慣化によって形成され、容易には変わらない、固い認知になっていくわけです。
その意味で、パターン化された自分の行動や認知は自分自身の先天的なものから形成されたものではなく、環境から身につけたと言っていいわけです。
環境からの影響を常に受けながら自分自身は形成されて、それによって、自分の行動や認知も固定化されていくわけです。
もはや、自分自身の事は、自分の仕組みによると言っていいわけです。自分の行動や認知の仕組みが、自分に常に影響を与えているわけです。
今日という日が上手くいこうと、上手くいかなかろうと、それは自分自身によるのであり、自分のパターン化された行動によるのであり、パターン化された認知によるわけです。
ここまで、散々、固定化された行動や認知のパターンの話をしましたが、自分自身を変えていくには、結局は、自分自身の行動や認知を変えるしかないわけです。
固定化され、パターン化されていますから、それは容易ではありませんが、それでも、自分の行動を変え、自分の認知を変える事が、自分自身を変える事、自分自身の日常を変える事につながるわけです。
すでに作られている自分の根底を自ら変えるというのは、困難極まりないわけですが、それでも、変えられる部分から小さく変えていくわけです。
いつも経験している事を、変えてみるんです。小さな事でも構わないから、経験を変えてみるんです。
経験は、記憶され、学習され、習慣化しますから、日々の経験をいかに変えていくか、いつも通らない道をあえて通るように、経験を少し変えてみるんです。
人生はその意味で経験ですから、経験そのものを変えていく事で人生も変わるわけで、そして、同様に、自分を基礎づけている、パターン化された行動や認知も変わっていくんです。