毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

やりたい事を思い出す。

きっと、自分のやりたい事はあったんだと思うんです。ですが、それが何だったのかもはや忘れてしまって、自分のやりたい事なんてなかったと信じ込んでしまっているわけです。

 

やりたい事が元々無かったわけではないんです。でも、いつしか、やりたい事なんてできるわけがないと思うようになってしまって、今や、やりたい事なんて無いわけです。無いと思い込んでいるわけです。

 

ただ、今は忘れてしまっていますが、きっと思い出せるはずです。無意識の中に、自分のやりたかったことが沈んでいるんです。

 

今は、自分のやりたい事を認識できるような、そんな生き方をしていないわけです。そんな過ごし方をしていないわけです。考えもしていません。自分のやりたい事なんて、そもそも無かったものと信じ込んで、そういうものだと思って日常を送っているわけです。

 

確かに、長らくそんな生活を送っているわけですから、思い出せるわけがありません。そもそも、やりたい事なんて無いと信じ込んでしまっているわけですから、期待すらしていないわけです。

 

そんな日常を長い間続けているわけですから、それが普通である事は当然です。そうやって、人生を進めてきたわけですから。

 

今や、やりたい事が無くたって生きていく事に困らないし、やりたい事なんて必要でもないんです。今を過ごせているわけですから、これから先も、別にやりたい事をやらなくたって、というか、やりたい事が無くたって、生きていく事には問題が無いんです。

 

でも、もうすでに思い出せませんが、やりたい事はあったんです。それが何だったか、思い出せもしませんが、確かにあったんです。

 

それを、いくら頭を捻って思い出そうとしても思い出せません。長らく無いものと思って過ごしてきたわけですから、思い出せるはずもありません。

 

ですが、あるはずもないものが実はあるのではないかと疑いを持つと、気にはなってきます。本当は、自分にはやりたい事があったなんて、思い出せもしませんが、実はあったなんて。信じられませんが、実はやりたい事はあったんです。

 

であるならば、それを思い出してみたいものです。無意識の深いところに沈殿してしまっているわけですが、かつてはあったわけですから、それを思い出してみたいわけです。

 

どんな気持ちになるのか、もはや分かりませんが、思い出してみるんです。無いならしょうがないですが、実はそこにあるんですから、それを拾い上げて、やってみたいわけです。

 

心を静かにして、やりたい事を思い出すんです。