毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分の承認欲求を認めていい。

承認欲求は人間を持つ欲求という事ですが、これ自体は否定されるものではありません。人間には普通にあるわけですから、むしろ、これを自分の中に無いものにしたり、否定したりする方がおかしなことになるわけです。

承認欲求は自然に備わっているものですから、自然とそれを発揮してよいわけです。お腹が空いたら食事をする。食欲は悪くないわけです。良くないという意味では、過剰な食欲、そして、過剰な承認欲求は良くないわけです。過剰でなければ、欲自体、何も問題ないんです。

承認欲求を満たしたければ、人と話をすればいいんです。人との良いコミュニケーションは自分の中の承認欲求を満たしてくれるんです。人から承認を与えてもらい、同時に、承認を与えてあげる。相互に承認し合う事で、良い関係になるわけです。それでいいんです。

承認欲求とは、リアクションを求める心です。人に関わりたいのも、人からのリアクションが欲しいわけです。作用反作用の法則のように、話しかけたら、返事が欲しいわけです。

承認欲求の満たし方は色々あります。人との話をするのもその一つだし、人の役に立とうとするのもその一つです。何かをやってあげる事で、そのフィードバックを感じたいわけです。過剰なフィードバックを求めるのは良くないですが、適度なフィードバックを求めるのは問題ありません。人間の普通です。

問題になるのは、過剰な承認欲求です。

ですから、むしろ、小さな承認欲求を満たすんです。小さな承認は、日々の中にいつもあります。ちょっとした人との会話、ちょっとした人とのやり取り、小さな事は日々の中に散りばめられています。それらを見逃してはいけません。毎日のように承認されていますから、その事にちゃんと気付く事です。

そして、自分が人に気付いているように、人は自分に気付いています。これも十分承認です。自分も知らず知らずのうちに承認を与えていますし、人も知らず知らずのうちに承認を与えてくれているんです。その事にもちゃんと気付くんです。

小さな事にちゃんと気付く力はとても重要です。

承認とは、基本的には、人との関わりの中にあります。ですから、自分の承認欲求を認めると同時に、他の人の承認欲求も認める事です。みんな、認められたいわけですから。

無理をする必要はありません。でも、過剰は良くありません。

自然と人に気付き、人を認めているように、自分も自然と人から認められているわけです。その事にちゃんと気付く事です。

そして、自分自身の承認欲求は認めていいんです。