毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

過剰さが問題。ちょうどよい期待感、承認欲求、感情的フィードバック

人は何か、良い事が起こる事を期待して生きているわけですが、そういった何かを期待する事自体は特に問題ありません。問題になるのは、過剰な期待です。過剰さが基本的に問題になるんです。

例えば、承認についてもそうです。人は、承認欲求というものを持っていますが、承認欲求自体が良くないわけではないんです。

会社で働いていても、会社から評価されたいし、承認されたいと思うわけですが、それ自体は問題ないんです。問題なのは、過剰な承認欲求です。

承認という事であれば、人と話をするとき、承認を得るわけで、人との会話による承認は何気なく自分も気付いていませんが、その何気ない、軽い承認で人は小さくとも満たされているんです。嬉しいと感じているんです。何か話をして、その話を受け取ってくれる。そのやりとりで、承認を得ているんです。同時に承認を与えているんです。それは、人の営みとして問題ないんです。

人は色んな事を通じて、承認を得て、また、与えているわけですが、それで社会は成り立っていますし、それぞれ皆それで、喜びや安心を得ているんです。

問題なのは、繰り返しですが、過剰さです。

自分が何かやるという事について、やった事の結果に対する過剰な期待があります。何かをやったら、やった事がすごい結果とか意味のある結果でないといけない、と思ってしまっているんです。

すごい結果とか意味ある結果とかって何なのか、という事ですが、それは人からの承認だったら賞賛だったりして、つまり、人から凄いって思われるような事、また、世間から凄いって思われるような事、インパクトを与えられるような事、そういう結果につながらないと意味がない、って思ってしまうわけです。

でも、期待感自体はそんなに問題ありません。何かをするんですから、何か喜びや安心のフィードバックが欲しいんです。でも、過剰なフィードバックを求めると、そこに問題が生じるんです。

何かをやる、という事について、特に他人や世間からの承認や賞賛でなくても、喜びのポジティブな感情を強く感じたい、つまり自分自身に強い感情的なフィードバックが欲しい、という自分の中だけの事であっても、問題になるんです。問題は過剰さです。

期待感、承認、感情的フィードバック、どれも、そんなに問題はないんです。問題なのは、過剰な期待感、過剰な承認、過剰な感情的なフィードバックです。

言うと、恋愛みたいなもので、過剰な恋愛を人は期待して求めてしまうわけで、でも、実際は過剰でも何でもなく、普通に恋愛をするものです。それと同じで、過剰な期待や承認は、精神状態に過剰な興奮や高揚を起こり、また、上手くいかなかった時に過剰な落ち込みも起こったりして、自分自身を保てなくなるんです。依存症、もしくは、双極性障害のようなものです。

実際、過剰さを求めても、そんな事はそんなに起こりません。過剰でなければ、普通に日々の中で起こります。

ですから、何事も過剰さを期待せずに、ちょうどよく期待し、ちょうどよく承認を求め、ちょうどよく感情的なフィードバックを感じたらいいんです。