毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「偉くなりたい」。承認の抑圧が苦しみを生む。承認欲求を認める。

人は「偉くなりたい」という欲求があるように思います。人よりも偉くなりたいという欲求。その事に自分自身もあんまり気が付いていないけど、実はそういう欲求を持っている。そういう事です。

 

一方で、「人よりも偉くなりたい」と、単純に言葉で表現すると、あんまり良いイメージを持たない。そういうことも、直感で気付くと思います。そもそも、偉いとか偉くないとか、そういう評価軸、そういう人に対する判断は、あんまり良いように感じないからです。

 

偉くなりたい。という欲求は、社会や大人から刷り込みによって植え付けられているというのもあると思います。また、偉くなると、人から下に見られたり馬鹿にされたりしなくなるような気がするというのもあると思います。偉くなれば、人から侮られないし、安心だから。

 

そして、人から偉いと思われると、嬉しいと思ってしまう心理もあると思います。偉くなると、人から賞賛されたり尊敬されたりすると思ってしまうわけですから。承認されたい人間にとっては、それはこの上ない喜びだと思います。

 

ですが、一方で、承認欲求は良くない、という考え方もあります。承認欲求はきりが無いし、人にとにかく認められようとする行為はみっともない。そのような価値観、道徳観はあると思います。案外、深く染みついていると思います。

 

だから、人は普段から、承認欲求を良くないものだと思って、抑えようとしています。人間の醜い部分だから抑制しようとしています。そして、実際、多くの時間、承認欲求を自分で抑制しています。

 

ですが、承認欲求が無いわけではありません。承認欲求は心の奥底にあるが、それが飛び出してこないように、上手く抑制しているわけです。静めているわけです。繰り返しですが、とは言え、承認欲求は自分の中に在るわけです。

 

自分で自分の欲求を抑圧しているわけですから、自分の心が静かな時は良いですが、何かあるとすぐに反応して、また、すぐに欲求は活性化して、そして、それをまた抑圧しようとします。とても苦しい状態です。怒りのように狂っている承認欲求で自分自身苦しんでいるわけです。

 

そして、ある時、多大に認められたり、評価されたり、賞賛されたり、出世したり、そしてその事によって偉くなったと思えると、この上ない喜びと安心を感じてしまうわけです。長い間ずっと抑圧して我慢しているわけですから、それを他人から認められると、喜びと安心が噴出してくるわけです。

 

人間の仕組みからすると、逆にこのような事を繰り返す事で、承認欲求⇒自分で抑圧⇒他人から承認⇒多大なる喜びと安心の報酬、という学習が強化され、その事によってますます他人からの賞賛を過度に求める人間になってしまいます。

 

これは人間にとっては普通の事ですから、ある意味しょうがないですが、欲求と苦しみがますます大きくなりますから、何とかした方が良いように思います。

 

まずは、自分には承認欲求があるという事を自分で認めてあげる事が大事だと思います。そして、他人からの承認欲求がそれほど必要のない仕組みを自分自身の内部に作っていく事が大事です。