人は承認の欲求を持っています。でも、その承認欲求をそのまま求めようとし過ぎると、やっぱり生きづらくなる。そう感じます。
確かに、現代は資本主義経済のシステムですから、仕事でもなんでも、承認欲求を、ある意味活かしながらやっていく事が可能な社会であって、むしろこの社会システムでは歓迎される場合すらあります。
承認されたい欲求を、満たされようと力いっぱい頑張って、その事の結果認められてすごく上手くいく。そういった事は実際にあると思います。
ですが、やっぱり疲れる。疲れ果てる。そういう事になってしまいがちです。
また、満たされるのは一瞬で、満たされた感覚も長続きせず、その後、楽にならない。心地良くならない。そういう事もいっぱいあると思います。
実際は、承認されたい欲求を、満たされたいままに力いっぱい頑張って、その結果上手くいかない事もたくさんあります。上手くいかない事の方がほとんどかもしれません。宝くじとまではいかないまでも、上手くいく確率はそんなには高くありません。
だから、確かに社会は資本主義経済で、承認欲求はウェルカムな社会システムかも知れませんが、そのままむき出しに承認欲求全開でこの社会にダイブしていると、身も心もぼろぼろもなりかねません。
仏教は、承認欲求を暴発させる事を良しとしていません。過剰な欲求は幸せにしません。人間だから、人間に承認の欲求があるのはしょうがないと認めはしても、過剰な欲は良しとは決してしません。自分にも周りにも結局苦しみになります
ですから、やっぱり、承認欲求はそのままにしない。そのまま暴発させない。
だから、まずは、自分に承認欲求があるという事実を認める。そこからです。無いと思っているかもしれませんが、きっとあります。ですから、そういう自分をよく見て、よく認識して、承認されたい欲求を持っている事実を認める。大事な事です。
そして、自分で、自分の承認欲求が過剰にならないようにコントロールする。セルフコントロールの力を身につける。これも大事な事です。簡単ではないですが、そのような力を養う。養う努力をする。日々努力です。
人は、実際、小さな欲求を小さなままで上手くコントロールできるようになります。そして、小さな欲求を小さく満たす事で十分である事も分かってきます。
それは、自分との戦いですが、日々修行だと思って、セルフコントロールする。資本主義経済の社会システムですから、承認欲求全開で生きていくのは歓迎されるように思ってしまいますが、そのまま放置すると、いくら現代社会でも身を滅ぼします。
ですから、承認欲求をセルフコントロールする。そのような力を養う。重要です。