毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

基本的には自分以外には「期待」しない。

基本的には、自分以外には期待しない態度が良いと思います。期待というのは、何故かしたくなってしまいますが、得てして上手くいかなくなります。

 

他人に、人は多くを期待したいわけですが、期待し過ぎると苦しくなってしまいます。何故かと言うと、期待しても、他人は自分の期待に応えてくれないからです。期待に応えてくれないというか、そもそも、期待に応える理由はありません。その人にはその人のやりたい事、やるべき事があります。その事情は自分と同じです。自分にも、自分のやりたい事ややるべき事があります。他人が自分に何らかの期待に応えてもらう事は、自分に余裕がある時だけです。自分に余裕がなければ、相手の期待には応えてあげられません。それと同じです。相手も、余裕が無ければ、自分の期待に応える事はできません。その意味で、そもそも、他人が自分の期待を応える必然性はありません。

 

もし、会社で働いているなら、会社に何かを期待したくなるものです。普通の人は会社に多くを期待するでしょう。働いていたら、そうしたくなります。ですが、これも、上と同じで、会社に、社員の期待に応える余裕なんてありません。会社は、会社自身が会社自身を維持していくのに精一杯です。会社に、そもそも、社員の期待に応える必然性はありません。むしろあるとしたら、会社が社員に何かを期待するくらいです。その期待に応えてくれたら、給料をくれるくらいです。会社は基本的に社員に対して期待するくらいで、社員の期待には応えるものではありません。

 

当然、会社は人から成り立っているわけですから、会社にいる人たちが自分の期待に応えてくれる義理や必然性はありません。あるとすれば、それは個人的な場合に限ります。基本的には、他の社員に自分の期待を満たす理由はありません。

 

むしろ、人間ですから、他の社員たち自身、自分たちの期待を誰かに応えてほしいという事は、自分と同様潜在的に持っているでしょう。むしろそうであって、自分自身の期待に応えてくれる事なんていうのは、基本的にはありません。

 

そういうものだと思います。基本的には、期待はするものでありません。期待があるなら、それはまず自分に問いかけるべきです。自分がその期待に自分自身で応えられるか。まずはその問いから始めるべきです。ましてや、漠然とした期待を自分以外にするものではありません。漠然とした期待は、自分ですら自分に対して応えてあげる事は出来ませんから。

 

そういうわけで、基本的には、自分以外には何も期待しない。これに限ります。