毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自動予測で苦しみを抱えながら生存確率を上げる。それを越える生き方を模索する。

人は、先の事を考えると希望を感じてワクワクする、という事もありますが、つらい事が予測されて絶望的な気持ちになる、という事もあると思います。

 

まだ起こってもいないような、考えなくてもいい事を勝手に考えてしまって、それで勝手につらくなるわけです。

 

人間の脳は、いつだって情報に基づいて自動予測を行っていますから、気が付いたら起こってもいない未来の事を先取りするように想像してしまい、勝手に絶望するわけです。自ら苦しくなっているわけです。

 

このシステムは、一方で、生存確率を上げるシステムであって、予測される危険や危機を事前に察知する事につながり、それを避ける事を可能にするわけです。このシステムが無ければ、人間はここまで長く生存してこなかったかもしれません。

 

ですが、同時に、生存できるとともに、苦しいわけです。

 

正確に言えば、苦しみを感じるから、生存する事が出来るわけです。苦しみを感じなければ、それを避けようとしないですから、近い未来で死んでしまうわけです。

 

ですが、苦しみを抱えながら生存し続けても、もはや苦しいばかりで、幸せとは程遠い戦略です。幸せを手放す事によって生存確率を上げているようなものです。

 

まだ起こってもいない未来の事で憂いて、勝手に予測した未来で不安になり、絶望的になるのは、言い方を変えれば、今に集中できていないわけで、今に集中していない隙に、他の事を散漫に囚われてしまって、気が付いたら勝手につらくなっているわけです。

 

集中する事や没頭する事は、主観的なウェルビーイングを上げる事につながるわけですから、散漫になってまだ起こってもいない未来を想像している場合ではありません。

 

今に集中しないと、幸せが遠のいて、不幸になってしまいます。不幸を嗅ぎつける本能は確かに生存確率を上げる戦略ですが、不幸になってまでして生存しようとする事に意味を感じるのはもはや人間にとっては難しい事です。

 

実際、現代社会では、そんな自動予測のシステムに頼らなくても、十分安心で安全に生きていく事が可能です。それより、慢性的なストレスの方が問題であって、進化の末に身につけた生存本能はもはや現代を生き抜くには役に立たない代物になってきています。

 

自動予測のシステムは確かにすでに備わっていて、それを止める事は無理な話で、ですが、無駄に絶望的な未来を想像して生きづらくなるくらいなら、今に集中する生き方を模索すべきのように感じます。

 

自動予測と苦しみは人間の自然ではありますが、これに抗わないわけにもいかないわけで、生存する事を目的とする生き方を超えた生き方を模索しないといけません。