毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

余白を作り出し、自分とつながる。

生きていると、色んな事が気になるわけです。心配事はとにかく多いわけです。正直気にしてもしょうがないくらい気になる事はたくさんあって、でも、気になる事であるだけにどうしてもそれらに囚われて、ずっとあれこれ考えてしまうわけです。

 

ですが、あれこれ考えていても、考えているだけで、それらに対する解決策も浮かばず、たとえ浮かんでも実行性が無く、また、仮に実行性がある解決策だとしても、実際に実行する時間も無く、結局できなくて、何もしないわけで、ただ、あれこれと考えるだけになるわけです。

 

そんな感じで、たくさんの心配事についてあれこれ考えて何も解決せず、頭はただ散漫なまま時間が過ぎ、落ち着きの無い日々が過ぎていくわけです。

 

こんな、落ち着きの無い、でも、心配事に満たされた生活を続けていると、もうこんな生活は嫌だとなって、現状を何とか打破したいと願うわけですが、もちろん打破できるわけもなく、ただただ、時は過ぎていくばかりなわけです。

 

この、心の落ち着きのない状態というのが、定常化していて、それだけで頭のリソースを、また、エネルギーを食っていて、もはや、何かを解決できる状況にはないわけです。

 

このストレスいっぱいの現状維持の生活に疲れ果て、心の落ち着きからは程遠く、心にこれっぽっちの余裕もありません。

 

もはや、問題解決なんて言っていられません。問題解決する余裕なんか無いわけですから。

 

一体、日々の生活の中に、余裕の時間という空白はあるのでしょうか。余白はあるのでしょうか。

 

余白が無ければ、もう生活はぎちぎちの空間になっていて、頭のスペースもぎちぎちで、空間も時間もありません。

 

いかに、心の余裕を作り出すか。現代の人々はこの問題にぶち当たるわけです。

 

情報も過多で、今も未来も情報でいっぱいで、数年先も、10年先も、老後も、自動的に予測された未来でいっぱいになっていて、先の先まで余白はありません。

 

ですから、そうではなく、いかに余裕を作り出すか、余白を作り出すか、そういう事です。

 

余白が無ければ、まず、自分自身がつかめません。自分が何を求め、望み、どう生きたいか、そういった事も分かりません。

 

自分との対話の時間と取り戻し、自分とのつながりを回復し、自分をただ感じる、そういう余裕を作り出すんです。まるで、自分なんて無いような日々を送っている場合ではないんです。

 

自分はそこに居て、何かを求めているんです。ですから、自分とつながる余裕を作り出すんです。