毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人や会社に「期待」すると「イライラ」してしまう。

「期待」はイライラの元。そう思います。何かイライラしている時、それは誰かに過剰に期待しているからではないかという事です。

 

期待の対象は色んな種類のものがありますが、まずは、人に対する期待というものがあります。人は、人に期待します。それは、ある意味普通の事でもあります。人に何も期待しないという事の方が難しいかもしれません。ですが、過剰な期待は、ほとんど応えてもらえませんから、期待した分が返ってこないと人はイライラしてしまいます。

 

人は、他人に、何らかの役割を期待していたりします。仕事などを想定すると分かりやすいと思います。人は、上司に何かを期待しています。ですが、その上司が自分の期待通りに何かを応えてくれるかというと、そうではありません。その場合、期待に応えてもらえなかった人はイライラする事になります。

 

こういう事は、どうしても起こってしまう事ですが、結局、その原因は、過剰な期待なわけです。過剰でないとしても、決して応えてもらえない期待なわけです。そのような期待を、他の誰かに抱いてしまうと、実際にその期待に応えてもらえなかった時、イライラしてしまいます。

 

このような期待は、人でなくても、会社に対してもあります。会社や、会社の上層部に対して、何らかの期待をしてしまいます。通常、社員は、会社に何かを期待しています。組織の運営についても、何らかの期待を持っています。ですが、会社もしくは会社の上層部が、社員の期待をその通りに応えてくれるかというと、そうではありません。当然、全ての社員の期待をその通りに応えるなんてことはありません。だから、社員は会社に対してイライラしてしまいます。

 

そのような事は、国や政府に対してもあるかもしれません。政府や内閣総理大臣が我々国民の期待に応えてくれないと感じる事があります。当然、国民は国や政府や内閣総理大臣に、何かを期待しているわけですから、その期待に応えてもらえないと感じた場合、イライラしてしまいます。実際、多くの人は、いつも政府にイライラしているように思います。

 

結局、イライラするのは、期待してしまう自分です。イライラするだけ疲れてしまうのも自分です。人や会社、政府に何の期待もせずにいるのは難しい事ですが、とは言え、結局イライラするのが自分という事であるなら、やっぱり出来るだけ期待はしない方が良い気がします。過剰な期待は特にしない方が良い気がします。人だからしょうがないですが、イライラし過ぎると疲れますから、やはり、あんまり期待しないようにした方が良いと思います。