毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分自身の真の欲望に基づいて自律性を維持する。

人間や人間社会は欲望機械によって理解されるわけですが、例えば、何故人間は自分の真の欲望に基づいていないといけないのか。この事について考えてみます。

 

人間には、ハイデッカーの言うように、この世界に、完全な受け身の状態で放り出されるところから生は始まります。その状況は圧倒的な受け身であるが故に、自分以外の他者、つまりその世界に、自分自身を全て委ねて生き始めざるを得ない。そのような生き物です。

 

その世界を目の前にして、人間は妄想的な生を始めます。つまり、世界に対する何の知識もありませんから、その世界を自分勝手に想像するわけです。人間はそのようにして妄想的なおぼろげな世界を想像するわけですが、その世界では圧倒的な権力をふるいます。嫌だと感じれば泣き、お腹が空いても泣きわめく。そのようにしながら思い通りの世界で、世界からの反応を獲得していくわけです。つまり、思い通りにしたいわけです。ですが、発達の過程で、実際には思い通りにならない事を学習します。

 

思い通りにしたいという欲望を他人から得ようとすると、それは他人への依存になります。それはまた、他人への過剰な期待とも言えます。一方で、逆の立場としては、他人からの欲望に応えすぎる事は、他人からの依存を認める事になります。

 

ですが、このような事では、真の自律は獲得できません。世界への依存もしくは世界からの依存は、他人も自分も自律性を損ないます。世界への過剰な期待もしくは世界からの過剰な期待も同じです。人間にとって自律を保つ事は、生命性を維持する事において最も重要です。

 

その意味で、自律性を維持する為には、他人の関わらない、自分自身に基づいた真の意味での欲望にドライブされている事がとても大切です。

 

自分自身に基づいた真の欲望によって自律性は維持されるべきで、その欲望が自分以外の他者や世界によって支えられてしまうと、それは、共依存を引き起こし、支配構造を引き起こしたりします。

 

とは言え、人間は世界に放り投げられ、妄想から始まるわけですから、真の自律とか真の欲望といったものは簡単に手に入りません。簡単にそのような状態には到達できません。努力が必要だし、忍耐も必要だし、成長も必要でしょう。学習も必要でしょう。簡単な道ではありません。

 

ですが、人の目指す方向という意味では、真の自律を獲得する事であるし、自分自身に基づいた真の欲望を獲得する事です。それには時間がかかりますが、それは普通の事です。