毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は愛するものの為に働く。ウェルビーイングや自由。

人は何のために働いたら良いのか。働くというのは、workするという事で、お金を得る為に働くという事もあるし、お金に関係なく働くという事もあります。広い意味で、人はやはり働いていたいわけで、それは、活動していたいという意味であって、生きていくという事でもあります。

 

端的に言えば、何のために働きたいかを考えた場合、愛するものの為に働きたい、というのはあると思います。愛するものというのは、恋人や家族、友人など、人だけではなく、世界のあらゆるものが対象です。自分が愛しているものすべての為に働きたい。そういう想いは、人にはあるのではないかと思います。

 

愛するものの全てとは、人もそうですが、世界、世の中、人類、地球、宇宙、文化、歴史、道具、自然、動物や植物、学問、知識、その意味で、繰り返しですが、自分にとってのありとあらゆるものを含みます。ですから、それらすべての中に愛するもの、大事なもの、大事な事の為に働く。そういう事ではないかと思います。

 

この人間の世界で、例えば、人がより良く生きる、という事が大事だと思うわけですが、つまりそれは、ウェルビーイングが大事と言っているわけで、人のウェルビーイングの為に働くというのは、この場合、自分が何のために働いたら良いのかの1つの答えのように思います。

 

人のウェルビーイングの為に、世界のあらゆる知識は役に立ちます。歴史からも学ぶことが出来るし、あらゆる学問からも学ぶことが出来ます。歴史的に積み上げられてきた学問の知は、人の生き方を助けます。人類の歩んできた歴史は、より良い生き方の多くを教えてくれます。その意味で、知識や学問は人のウェルビーイングにとって重要で、愛すべきものと言えます。

 

そして、愛すべきものの為に働くためには、自分が常に自分自身でいる事も大切だと思います。その意味で、孤独でいる事は大事です。自分で自分を成り立たせる自立した生き方はとても大事で、自由でいる事はとても大事です。そのような生き方を追求する事は、愛する事のために働く事を支えると思います。自分が自立していれば、また、自由でいれば、いつでも、愛するものの為に働く事が出来るからです。

 

そういう意味で、何のために働いたら良いのか。それは、愛するものの為に働いたらいんだと思います。人のウェルビーイングは、人間にとって大事な愛すべき事だと思いますが、その為にも学問や知識はとても重要です。また、自立し、自由である事も、愛する事の為に働く上でとても重要です。

落ち着かない時は決断しない。時間をかけて、ジャーナリングをして、自分をよく知る。

やらないといけない事がたくさんある気がして、早く何かやる事を決めて、すぐにそれをやらないといけない。そういう風に思ってしまいます。

 

でも、そんな事はありません。急いで決める必要はありません。落ち着いていない時は、何も決めない。とても大事です。

 

心が落ち着かない時は、また、頭が落ち着かない時は、何かを考えようとしても良い考えにつながりません。そして、正しい判断が出来ません。結果、良い決断が出来ません。ですから、まずは落ち着く事です。

 

その為にも、今すぐ何かを決めようとするのではなくて、時間を置く事です。時間をかけて、明日にでも考えたらいいんです。今日考えたって、質の良い考えなんて浮かびません。少なくとも、1日寝かせるんです。1日寝かせて明日考えたらいいんです。明後日でもいいかもしれません。それくらい、時間をかけるんです。

 

そして、ただ頭の中で考えを巡らしていても、より良い判断や決断の為の思考にまでは至りません。何か文字に書き起こすんです。ジャーナリングをするんです。文字にして、文章を書き続けていると、自然と、考えるべき事が明確になります。そして、考えもシャープになります。もちろん、この作業にも時間を十分かけるんです。十分時間をかけてジャーナリングをして、そして、考えを整理するんです。これによって、かなり決断しやすくなります。

 

そのようにして、結局、何をしようとしているかと言うと、自分を知るという事です。理解しようとしているという事です。客観的に自分を理解する事で、物事を判断しやすくなるという事です。

 

自分に対する客観視や自己理解はとても大事です。基本です。そのようにして、自分をよく知っていなければ、より良い決断なんてできません。落ち着いていない時は、間違いなく、良い判断なんかできません。

 

きっと、頭や心が落ち着いていないわけですから、それは疲れが込んでいたり、精神が疲弊していたりしているんです。ストレスでいっぱいだったりするんです。ですから、実際はもっと休むべきだし、自分を解放してあげるべきです。

 

十分に自分を休ませてあげる事で、はじめて、何かをしっかり正しく考える事が出来るわけです。

 

そういうわけで、落ち着かない時というのは無理して決断しない。まずは、時間をしっかりかける。明日でも明後日でも良いんです。そして、また時間をかけてジャーナリングをするんです。きっと、考えが明確になります。

 

つまりそれは、自分をよく知るという事が大切という事です。自分に対する客観視や自己理解が大切という事です。

 

そのような取り組みによって、自ずと良い決断ができるようになります。

今日に、今に、集中する。

人はすぐに散漫になります。明日の事とか、明後日の事とか、まだやってこない日の事について考えてしまいます。

 

そんな事より、今日の事について考えるんです。今日に集中するんです。

 

それは、「今」に対しても同じです。

 

疲れてきたり、精神的にまいってきたりすると、今に集中できなくなります。疲れている事自体にも囚われてしまうし、疲れている事で注意が散漫にもなります。

 

そして、ネガティブな感情に引っ張られます。注意がネガティブな事に持っていかれて、全然目の前の事に集中できません。ネガティブな事に意識がいっていますから、それだけで疲弊します。

 

疲弊とネガティブな感情は、相乗的にそれらを膨らませてしまいます。その状態はとてもきつい状態です。

 

ですから、出来るだけ、今に集中するんです。

 

今日に集中して、今に集中する為には、身体の疲れを取らなければなりません。

 

身体の疲れは、今に対する集中を妨げます。そして、1日疲れたままでは、今日に対する集中も妨げてしまいます。

 

普段からあんまりよく眠れていなくて、日中睡眠不足というのは、もちろん集中の妨げになりますが、身体が疲れているという事自体が、集中の妨げになります。

 

身体が疲れている分だけ、意識は身体が疲れているという事に配分され、その結果集中力は下がります。身体の何処かが痛いというのも、集中力の低下につながるし、身体の何処かが疲れているという感覚もそうです。

 

だから、疲れを取ってあげる、疲れを軽減してあげるという事がとても重要です。そして、その事に気付く事です。

 

また、人間、気が付いたら意識が散漫になってしまいますから、意識的に、今に集中しようとする事も大切です。その努力は有効です。疲れていても、出来ない事ではありません。

 

そして、今日という日に対しても、意識的に、1日をちゃんと過ごすという事に集中する事です。今日にコミットするんです。どうせ明日は、コミットしてもしなくてもやってくるんですから、コミットした方が良いんです。

 

コミットせずに、集中を温存しようとしたところで、実際大して集中力は上がりません。集中できる時は、ちゃんと集中した方が良いんです。その方が、明日の集中も高まります。

 

だから、今日という日を大事にして、無駄にしないように、今日に集中するんです。コミットするんです。そうする事で正しく明日を迎えられます。

 

それと同じく、今に集中するんです。今にしっかりコミットする事で、物事がはかどります。生きた心地が高まります。

もっと自分の事に集中する。

人は散漫な生き物です。何かと周りの事に囚われて自分の事に集中できません。常に、もっと自分の事に集中するべきです。

 

とにかく人は、人の事を気にし過ぎです。自分以外の他人の事を気にし過ぎです。他人を見て、自分と比較する事が癖になり過ぎているのが人間ですが、その癖は改善しないといけません。他人の事ではなく、自分の事に集中するんです。

 

人の事もそうですが、世の中の事に対してもそうです。何かと情報を摂取して、テレビを見て、インターネットを見て、スマホを見て、SNSを見て、そして、自分を見失っています。情報は、とにかく多くて散漫ですから、それらに人は振り回されてしまいます。ですから、もっと自分の事について、意識して集中するべきです。

 

また、嫌な事にも囚われてしまいます。人間はそもそもそういう性質があるから、しょうがないと言えばそうですが、でも、放っておいてはいけません。意識しないと、ずっと嫌な事を考えてしまいます。

 

そうではなくて、自分が考えている事、自分が考えるべき事について、もっと意識を向けるべきです。そして、意識を集中させるべきです。自分に関する事は、嫌な事ばかりではありません。普通に関心を寄せるべき重要な事があります。ですから、もっと自分にとって大事な事に集中するべきです。

 

人はどうせ何かに囚われるんです。そもそも、何かに囚われるような性質を持っているんです。ですから、どうせ囚われるなら、自分に関する事に囚われるのが良いと思います。

 

自分の事で囚われて良い事はたくさんあります。考えるべき事はたくさんあります。散漫にならず、もっと自分の事について考えるべきです。

 

何か、気が散ってきたなと思ったら自分の事に意識を向け直すべきです。何か、散漫になってきたなと感じたら、自分の事について考えるべきです。

 

これまで、せっかく自分の事に集中してきたんです。自分の事に集中して色んなことが出来るようになったんです。自分にとって大事なものを得てきたんです。多少なりとも、自分にとっての幸せを感じられるようになってきたんです。それらは、自分がこれまでちゃんと自分の事にコミットしてきたからです。

 

ですから、自分がまた自分以外の事に囚われていると気付いたら、また、他の人の事ばかり考え始めたら、そして、嫌な事に振り回されてネガティブな気持ちになり始めたら、自分の事に集中するという事を思い出すべきです。もっと自分に集中して、もっとコミットするべきです。

人は何かに囚われるんだから、見るものと見ないものを選ぶべき。

人間は何もしないでも何かに囚われ、何も考えなくても何かに囚われます。頭の中では、色んな事が展開していて、思考の断片が次から次へと生まれています。

 

何かを気にすれば、すぐにその事に囚われるし、そして、ずっとその事を考えてしまいます。人間とはそういう生き物ですから、そういう事だったら、自分でそういったものを選んだほうが良いと思います。

 

人は、意識的に、見るものを選ぶ事が出来ます。意識していなければ、見たくないものも気が付いたら見てしまうわけで、そういう事なら、自分で見るものを決めたらいいんです。色んなものを見る事が出来るわけですから、その中から自分が見るべきと思うものを選んだらいいんです。

 

同じく、見ないものをちゃんと自分で選ぶべきです。何も考えていなかったら、知らず知らずのうちに見なくてもいいものをずっと見てしまっているわけですから、見ないものもちゃんと自分で選んだらいいんです。

 

自分の頭の中に、想像上の色んなイメージがあります。事実と事実じゃないものと関係なく、色んなものが想像の中には存在します。そして、気が付いたらそれらの何かに囚われています。

 

その囚われた想像の中のものを、ずっと見てしまっていて、そして、どんどん展開させてしまっています。見なくてもいいもの、見たくないものにも関わらず、気が付いたら勝手にどんどん自ら展開させていたりします。

 

それは、つまり、妄想です。人間は、妄想を展開させる事を自動的にやってしまう生き物です。それらが無害ならそれはそれで良いですが、それらが有害な場合は、妄想を展開させても意味がありません。

 

場合によっては、独りで疲弊しています。ネガティブな感情を膨らませている場合もあるし、ストレスをためている場合もあります。

 

ですから、そのような妄想が展開するままに任せず、自分が見るものをちゃんと選ぶんです。見る事こそが大事なわけです。

 

客観的に自分をちゃんと見る事も大切ですし、頭の中の想像上の事ばかりではなく、世の中にあるもの、外の世界に広がっているものに目を向ける事も大切です。自分の中にも、そして、自分の周りにも、見るべき大事なものはたくさんあります。

 

そのようにして、見る力を身につける。何かに囚われたままにせず、見るものと見ないものをちゃんと選ぶ。人間ですから、どうせ何かに囚われます。それだったら、見るべきものをちゃんと見て、見ないものは見ないようにする。大事な事です。

何もしない、何も考えない日を作ってもいい。

何か考えないといけない事があるような気がするんだけど、どう考えていいか分からない。考えた方が良い気がするけど、考える気力がわかない。そんな時は考えなくてもいいんです。何も考えなくていいんです。

 

そして、何かをやらないといけないような気がするんだけど、どうしていいか分からない。何をしていいか分からない。そんな時も、特に何もしなくていいんです。

 

とは言え、何かやらないわけにはいかないような気がする。何もせずに1日を過ごすのは勿体ない。無駄な1日になってしまう。無駄な1日にしてしまう。何かそれがいけないような気がする。

 

そういうのも、何か人は常にやっていないといけないという観念に囚われているんです。特に何もやらなくてもいいんです。そんな日があったっていいんです。

 

考えることだって同じです。無理に何かを考えようとしなくていいんです。まともに考えられないんだったら、何も考えない。そんな日があったっていいんです。

 

それはきっと疲れているんです。疲れている時は、大したことは考えられないし、何かをやる気力なんてありません。

 

むしろ何もせず、ゆっくりするときです。ゆっくりする日です。何もしないDayです。

 

こんな時に、何か無理に何かを考えようとしても、ろくな考えにならず、そして、たいていネガティブな事ばかりになって、自分を良い感じにしてくれません。

 

そして、何も良い事が自分に残らないばかりか、無駄な思考により残らなくてもいいようなマイナスの思考の断片が残ります。

 

そんな事になるくらいなら、何にも考えない。そんな日があったっていいんです。

 

最近、ちゃんと休んでいるんだろうか。疲れが取れない日々を過ごしているんじゃないだろうか。

 

そのように、自分に問いかけて、疲れている自分に気付いてあげるんです。きっと疲れています。休みを必要としてします。

 

休みが必要なのに、自分のそのような気持ちを無視してしまっています。自分で自分の尻を叩いて、何かをさせようとしてしまっています。

 

自分をちゃんと見てあげないといけません。自分は疲れている。休息を必要としている。

 

だから、何もしない。何もやらない。何も考えない。そんな日があっていいんです。そんな日を作っていいんです。

 

そんな自分を許してあげるべきだし、許すも何も、ただ何もしない事を認めてあげればいいんです。そういう日をちゃんと自分に作ってあげる事で、また明日何かを始めます。何かすべきことを始めます。そして、考えるべき事を自然と考え始めます。

ジャーナリングにより真の願いや望みを見つける。

やらない事がいっぱいある。でも、疲れていてなかなか思うようにできない。そして、やらないといけない事をやっても、全然パフォーマンスが上がらない。

 

きっと、それは疲れているという事だと思うのですが、そもそもやらないといけない事が多すぎる事も問題。やらないといけない事を見直して、本当にやる事を適切な数に絞らないといけない。そう感じます。

 

1日に出来る事は限りがありますから、1日に幾つも出来ません。仮にたくさんやったとしても、それは濃度が低く、パフォーマンスも低いはず。

 

だから、本当に取り組む事を絞らないといけないのですが、それが何なのか、自分で分かっていない。そういう事ってあります。

 

ですから、まずは、やらないといけないと思っている事を、ノートに書き出している。思いつくままに書き出してみる。そういう時間を作る事が大切です。

 

とにかく、思いつくままに書いていると、言葉の断片の中から、自分にとって重要なワードが現れてきます。それでも、続けてどんどん書き続けていると、何度もそのワードが出てきます。似たようなワードも形を変えてたくさん出てきます。

 

きっと、自分の中で気にしている重要な事のサインです。

 

自分にとって重要な事は、どのような形で現れてくるか、分かりません。ですが、たくさんの気にしている事の中に、本当にやらないと思っている事、やらないといけないと思っていたが、実がそうでもない事、色んな事が分かってきます。そういった事を整理していったらいいんです。

 

また、ネガティブな感情もいっぱい出てくる場合もあります。そういった事も見逃してはいけません。

 

ネガティブな感情や言葉の裏には、本質が隠れている場合があります。日々、色んな出来事に対してネガティブなフィードバックをしていて、それでネガティブな感情が湧いている可能性があります。

 

それらのネガティブなワード自体には、本当の事は現れてはいないかもしれませんが、ネガティブなワードが、自分の本当に願いや望みが形を変えて現れている可能性があります。

 

ですから、そのような意味でも、ネガティブなフィードバックも大切です。

 

このようなジャーナリングを続けているうちに、心が、気が付いたら晴れる場合もあるし、もちろん自分が本当に大切にしている事が見つかるかもしれません。そして、本当に心底やらないといけない事が明らかになる事もあります。

 

ですから、やらないといけない事はたくさんあるのに出来なくなっている。疲れてきている。そのような感じた時はジャーナリングをしてみる。そうする事で、自分にとっての真の願いや望みが見つかります。