毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

やりたい事をやる為にも、積極的休息に取り組む。

ただでさえ仕事をしているのに、さらに何かやりたい事をやろうとする。人とはそういうものです。やりたい事をやろうとする事はとても良い事ですが、身体は1つしかありません。

 

やりたい事をやる為にも、しっかりとした休みを取る必要があります。

 

むしろ、ちゃんと休息を取らないと、やりたい事のひとつも十分には出来ません。また、当然ですが、仕事も十分にできません。

 

会社勤めも、週末に休息を積極的に取りながら仕事をやっているわけですから、さらにやりたい事をやろうと思ったら、さらに休息と取らないと回るはずがありません。

 

毎日、仕事に行ったら、夜には家に帰ってきて、ちゃんと休んでいる。ちゃんと休息をとっている。そう言うかもしれませんが、それは疲れて休んでいるだけ。疲れて寝ているだけ。

 

もちろんそれは最低限必要な休息であり、それで十分だったら、週末の休みなんか要りません。

 

ですが、実際週末の休みは必要なわけですから、ただ睡眠をとるという休息だけでは、全然十分ではないという事を言っているわけです。

 

もちろん、睡眠をしっかりとる事は絶対に必要です。それ無しに日々が回るわけがありません。睡眠不足の人は実際たくさんいますが、それでは毎日を乗り切れません。

 

その上で、睡眠は十分とった上で、さらに、積極的な休息が必要という事です。

 

積極的な休息は1日の中にもあった方が良いと思います。1日仕事をしたら、仕事を終えた後、少しでも積極的な休息をとる。睡眠をとる以外の積極な休息に取り組む。

 

それは、何でもいいんです。自分に合う休息。瞑想をするでも、心地良いコーヒータイムを作るでも、何かゲームをするでも、映画を観るでも、何でもいいんです。自分にとってそれが休息になるなら。

 

そして、1日の中だけなく、週末も、積極的な休息を入れるんです。ただ寝るという事ではなく、積極的に何かをするんです。それが休息になるような事をするんです。

 

仕事と違って、それは発展的な事である必要はありません。ビジネスのように拡大していくようなものである必要はありません。

 

ただそれ自身で、心が落ち着き、身体も心地良く、癒しになり、楽しい事。そして、身体も回復して、心地良く集中できるような事。マインドフルな事。

 

やりたい事はたくさんあるかもしれません。今やっていなくても、潜在的にはたくさんあるかもしれません。そういう事をどんどんやっていく為にも、しっかり休息を取る。積極的な休息を取る。大事です。それが、さらなるやりたい事につながります。

マイビジネスとマイビジネス以外を持つ。

人は、たいてい自分のビジネスを持っています。仕事はマイビジネスとも言え、仕事を通じて、自分のビジネスを推し進めるわけです。

 

一方、マイビジネスとは違う何か、そういう対象を持つという事も大事です。マイビジネスばかりに邁進していると、疲れて切って、回復するときがありません。

 

マイビジネスとは、基本的には、いつもそれを展開したいと思っていて、拡張したいと思っていて、推進したいと思っている、そういうものです。

 

マイビジネスが上手くいくと、自分にとってはそれはゲインとなり、力となります。元気になるし、励みになります。

 

言い方を変えると、自己効力感につながります。

 

その感覚というのは、自分のとっての権力を感じるようなもので、影響力を感じるようなものです。

 

ですが、マイビジネスは、それによって自分をどんどんドリブンしていく為、どうしても負荷がかかります。疲労がついてきます。ストレスも伴います。

 

なので、マイビジネスに邁進するのは生きた心地がするからそれはそれでいいのですが、リラックスや休息とは違うので、それだけではどうしても自分自身が保てません。

 

人間にはリズムがあるので、何かに強く邁進したら、その分だけ休みが必要です。回復期が必要です。

 

交感神経優位ばかりではなく、副交感神経も働かせなければなりません。

 

穏やかな時間、心地良い時間、リラックスした時間。そういう時間をしっかり持つ事が大切です。

 

そういう意味で、マイビジネス以外を持つ事も大事という事です。

 

まず、拡大志向でない事。そして、健康的な事。また、心が静まるような事。

 

それでいて、その事に集中出来て、心地良い事。そういった、マイビジネス以外の何かを持つ事が大事です。

 

誰かの為である必要もないし、社会の為である必要もない。分かりやすく役に立つものや便利なものである必要もありません。

 

また、「遊び」みたいなものでも良いと思います。ゲームでもいいし、映画を観たり、漫画を読んだりするようなものでいいと思います。それらに集中して取り組めると、とても快適にリラックスします。

 

スポーツのようなものでもいいんだと思います。身体を心地よく使い、いちいち他人と争う必要の無いようなものが良いんだと思います。

 

生活に、マイビジネスだけでなく、マイビジネス以外のものもバランスよく取り入れる事によって、交感神経だけでなく副交感神経も働かせて、心地良い休息出来る時間を持つ。そのようなリズムを作る。とても大事です。

息を吸う事と水を飲む事と姿勢を正す事。そして、歩く事。

人間、何かに迷ってどうしたらいいか分からなくなったら、まずは呼吸をする事です。息を吸って吐いて、酸素を取り込む事です。確かに呼吸は無意識にやってはいますが、より自分を整えるために、しっかりと息を吸う事です。そして、吐く事です。

 

自分を取り戻す事が出来ます。

 

そして、水を飲む事です。基本的には、水はいくら飲んでも大丈夫です。とは言え、もちろん限度はありますが、アルコールや砂糖みたいに、摂取する事に制限をしないといけないものではありません。それらに比べれば、水はそんな事は気にしなくても大丈夫です。

 

身体は水から出来ていますし、身体は水を欲しているかもしれません。水によって体内で色んな化学反応がいたるところで起こります。悪い事は基本的なんてありません。

 

水を飲む事で自ずと落ち着くものです。

 

姿勢を正すというのも、また、とても重要です。気が付いたら、姿勢は乱れています。いつものように、乱れています。猫背にはなっているし、立ち姿もおかしいし、頭の位置も、肩の位置も、足や腰の位置もおかしくなっています。

 

悪い姿勢でいる事自体が、精神に乱れを生じさせます。身体も疲労します。ですから、姿勢を正す。これに限ります。

 

この3つは人間にとって絶対で、三種の神器のようなものです。迷ったら、息を吸って酸素を取り込み、水を飲み、そして、姿勢を正すんです。

 

迷ったときだけでなく、疲れた時も、何かが嫌になった時も、つらい時も、落ち綱会時も、どんな時もこの3つは自分を助けてくれます。

 

そして、これらに加えて、歩くという事もとても良いです。

 

身体を動かす基本としての歩行。リラックスして、正しく呼吸をして、姿勢も正しくして、そして、歩く。

 

別に急ぐ必要はありません。自分のペースで、ゆっくりと歩く。気持ちよく歩く。姿勢を良くして歩く。

 

そうする事が、適度な運動とリズムを身体にもたらし、きっと調子が戻ってきます。心も落ち着いてきます。

 

上に挙げた三種の神器に加えて、しっかり歩く。これが加わると、もう怖いものなしです。いつでも、落ち着けます。何とかなります。身体も心地良くなります。

 

人間、頭ばかり使っていてはいけません。頭でどうにかしようとしても突破できません。前に進めません。

 

そうではなく、息を吸う事です。水を飲む事です。姿勢を正す事です。そして、歩く事です。

 

そうする事で、自然と心も落ち着いてきて、身体も落ち着いてきます。嫌な気分も、身体の疲労感も、精神の疲労感も、落ち着きのなさも、この4つの事をする事で、とりあえず落ち着かせてくれます。

自動的に予測する事に囚われるのではなく、今に集中して生きる。

未来を先読みしながら生きると、確かに生きやすくはなります。生きやすくなるというか、生き残りやすくはなります。

 

人間、他の動物と同じく、生存しようとする事が生きる事を有利にしますから、先の事を考えながら生きる事は大事なのですが、とは言え、より豊かに生きていこうと思ったら、やはり、未来の事の為に生きるのではなく、今を生きようとする事が大切だと思います。

 

未来の事は、特に何も意識しなくても、自然と考えてしまいます。人間は、自動的に未来の事について考えてしまう生き物なんです。未来の事について考える事は楽にできてしまうんです。

 

ですが、楽にできる事だからと言って、それは幸せにつながるかと言うと、そうとは限りません。

 

幸せに生きようと思うなら、その意味で、やっぱり、楽に生きちゃダメなんです。

 

人は未来の事にすぐに囚われて、今の事に集中しづらいものです。ですが、意識的に、積極的に、今を掴むことが大切です。すぐに今はすり抜けて、気が付いたら未来の事に囚われてしまいますが、それでも、今に集中しようとするんです。

 

そして、自動的に考えてしまう未来は、全然当てにはならないんです。せいぜい確率的な事であって、未来に絶対に起こる事実とは違うんです。未来は常に確率的に、不確定なもので、それでこそ未来なのですが、ですが、確率的には起こりうるとしても、だからと言って、少なくともそれで幸せにはならないんです。

 

そして、それって、確率的な未来とか、不確定な未来とか、そういったものではなく、勝手に予測しているものであって、未来に起こる事ではないんです。勝手に予測しているものが、もしかしたら未来になるかもしれない、そういう話です。

 

その意味で、未来の事を考えているわけでも実はないんです。

 

そんな事よりも、未来への地続きである、今を大事にする事です。今に集中するんです。

 

今の何に集中すればいいのか。悩むかもしれません。ですが、今集中する事はいっぱいあります。今の断片は常に自分のそばにあります。その「今の断片」に意識を向けて、それに集中していったらいいんです。

 

実際に手を付けられる事はいっぱいあります。そして、手を付けるべきと思ったら、ただ手を付けたらいいんです。

 

意識して、今の事について集中していくと、確かに今やるべき事が見えてきます。また、気付いていなかった今重要な事というのが分かってきます。そういう事に集中する事です。

 

今に集中する事が、直接自分の人生を豊かにしていくし、自分を幸せにしていきます。なので、自動的に予測する事を止めて、今に集中するんです。

思考パターンや言葉遣いが幸せを決める。

きっと、幸せになる思考パターンというものがある。そう思います。

 

幸せな人というのは、幸せにつながる思考を持っていると思います。そして、そのような言葉遣いをしていると思います。

 

言葉遣いとは、言葉の選び方だったり、文章構造だったり、最初に持ってくる文章だったり、そのような事です。

 

思考が言葉を決めるという事もありますが、言葉が思考を決めるという事もあるわけで、そういう意味で、言葉が思考パターンを決めて、そして、その思考パターンがその人を幸せにしたり、不幸せにしたりするという事です。

 

もちろん、そういう仕組みですから、自分を不幸せにしてしまう思考パターンというのもあるわけです。そのような思考パターンでは、いつまでたっても不幸のままという事があるわけです。

 

そして、そのような思考パターンを作る言葉の使い方というのがあるわけです。知らず知らずのうちに、いつもの不幸せな言葉は発しているわけです。自分を不幸せに導く文章構造になってしまっているわけです。

 

思考のパターンですから、それは習慣化されて強化されたものであるわけです。

 

だから、すでに何も考えなくてもそのような思考パターンは身につけていて、ほぼ自動的に幸せなパターン、もしくは、不幸せなパターンを持っているという事です。

 

ただ、別に人は幸せにならなければならないわけではないですから、別に、不幸せな思考パターンのままでも良いんです。不幸せな言葉遣いのままでもいいんです。

 

ですが、それだと、他の人からは敬遠されがちにはなります。とは言え、それも気にならなければ、それでもいいわけです。

 

ですが、幸せになりたいんだったら、やはり、思考パターンや言葉遣いは気にした方が良いわけです。

 

色んな話し方を身につけるべきだし、色んな情報には触れるべきだし、色んな本を読むべきです。要は、自分以外の何かを取り入れるべきという事です。

 

自分だけに固執していては、変わりようがありません。そして、幸せになりようがありません。

 

もちろん、自分にとっての幸せとは何なのか。とことん、突き詰める必要もあります。自分が心底何を望んでいるのか。それが分からないと、幸せに向かっていくのは難しい事です。

 

そういうわけで、思考パターンは大事です。そして、言葉遣いも大事です。それらによって、幸せになったり不幸せになったりします。ですから、そのような事を念頭において、自分自身が幸せになれる思考パターン、そして、言葉遣いを身につける事が大切です。

能動的休息をとる

人間にはバイオリズムがあって、活動期もあれば休息期もあります。そうです。休息期も必要なわけです。

 

例えば、一週間のうち平日5日間は活動期として、活発に活動しているわけですが、少なくとも現代では週末に2日間を休息日として当てるわけです。昔は、休息日は1日間でしたが、今は主には2日間なわけです。

 

学校や仕事の場合、その方が結果的に効率は良いわけです。一週間のうち、2日間くらいは休みたいという要望に社会が応えているというのもありますが、実質2日間くらいは休んだ方が効率的なはずです。

 

人間の脳にも、覚醒時と睡眠時というのがあって、脳に休息を与えるのは必要なわけです。生存のために脳を休ませているわけです。

 

そういう意味で、人間の身体にも、しっかり休息を与える事が大切です。

 

週末になったら思いっきり遊ぶ。それも良いでしょう。スポーツをしたり、遠くへ旅行に行ったり、活発に遊んだり。

 

ですが、身体が本当に休息を求めている時もあります。

 

平日の間の疲労がかなり身体に蓄積して、回復する為にしっかり休みが必要な時があるという事です。

 

身体は引きこもりがちに、じっとして動きたくないという時もあります。動けない時というのもあります。

 

身体が言う事をきかないわけです。動きたくても身体が動いてくれないわけです。意思よりも以前に身体が動こうとしないわけです。

 

それは、平日に働き過ぎたのかもしれません。平日に、過剰な疲労が身体にたまってしまったのかもしれません。平日のストレスが過剰だったのかもしれません。とにかく、身体は疲れすぎて、身体は意思を持って休みたいと言っているのかもしれません。

 

そういう意味ではそうです。身体は正しく、事実として休もうとしているのです。頭は身体を動かしたいと思っているのかもしれませんが、身体は正直です。身体は、本当に休みと取ろうとしているわけです。

 

そういう意味で、ちゃんと休息をとる必要があります。週末だから、何となく休息をとるのではありません。ちゃんと休息をとるんです。能動的に休息をとるんです。

 

ただ、だらっと過ごすのではありません。何もせず、ダラダラする、ゴロゴロする、そういう事ではありません。

 

確かに身体はそのような要求をしているかもしれません。その意味ではそれでもいいんです。

 

ただ、ここで重要な事は、しっかり意識的に、能動的に休息をとるという事です。そうしないと、身体は回りません。パフォーマンスは上がりません。人間には、そのようなバイオリズムがあるんです。

人生、いかに実行可能な進化をして生きていくか。

人間生きていると、変わっていかないといけないんだなという事を実感します。変わっていかないといけないとは言え、普通に変わりたい自分もいるわけだから、それはそんなに嫌な事というわけでもないわけですが。

 

ずっと同じ場所に居ると、その場所が好きになって、もしくは、その場所に知らず知らずのうちになじんでしまって、愛着を覚えて、離れなくなくなってしまう。こういうのも、自分自身を変わりにくくする要因の1つのように思います。それはそれで悪い事ではないのですが、人間生きていると、変わらざるを得ない時がやって来るから、そのままでいると、いざ変わらないといけない時に苦労するように思います。

 

また、会社などで働いていると、変わらなければならないといつもプレッシャーを感じながら、もしくは、プレッシャーをかけられながら、そこに居るわけですが、一方で、同じ仕事をずっとやり続けなければならないような圧も感じるわけで、人間というのは自分自身が変わっていこうとする一方、他人には変わらない事を期待されるような、そういうところもあるわけです。

 

そういう意味で、生きていると、なかなか変われないと感じる場面は、数多くあるわけです。

 

人類の歴史を振り返っても、生物の進化の過程を見ても、マクロな視点で見れば、それは明らかに、必然的に見えるほどに、変化していかなければいけないわけで、とは言え、人間、人生のうちにいかに変わっていくか、とても大事なわけです。

 

人間、ひとっとびに、遠くにハイジャンプする事は出来ません。無理な変化は出来ません。あり得ない進化を起こりません。

 

とは言え、全く変わらないわけにはいきません。もちろん、世の中も変わっているし、自分自身その影響もうけるし、身体自体も変わっていっているし、全く変わっていないわけではありません。諸行無常なわけです。

 

ですが、自分が思っている以上に、変わっていかなければならない変化量というものはあります。それはハードで、それはちょっと無理ではないか、と感じられるほどの変化は必要だったりするわけです。

 

その意味で、いかに、自分自身にとって、実行可能な変化をしていくか、進化をしていくかっていう事が重要なわけです。

 

自分自身にとって無理な進化というものもあります。ですが、可能な進化というものもあります。

 

それをどのように感じ取り、理解し、順応していくか、自分自身を適応させていくか。それは自分自身にとって大変な変化なわけですが、その実行可能な進化をどのように見定めるか、見出すか、設定するか。人生生きていく上で非常に重要です。