毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

何もしない、何も考えない日を作ってもいい。

何か考えないといけない事があるような気がするんだけど、どう考えていいか分からない。考えた方が良い気がするけど、考える気力がわかない。そんな時は考えなくてもいいんです。何も考えなくていいんです。

 

そして、何かをやらないといけないような気がするんだけど、どうしていいか分からない。何をしていいか分からない。そんな時も、特に何もしなくていいんです。

 

とは言え、何かやらないわけにはいかないような気がする。何もせずに1日を過ごすのは勿体ない。無駄な1日になってしまう。無駄な1日にしてしまう。何かそれがいけないような気がする。

 

そういうのも、何か人は常にやっていないといけないという観念に囚われているんです。特に何もやらなくてもいいんです。そんな日があったっていいんです。

 

考えることだって同じです。無理に何かを考えようとしなくていいんです。まともに考えられないんだったら、何も考えない。そんな日があったっていいんです。

 

それはきっと疲れているんです。疲れている時は、大したことは考えられないし、何かをやる気力なんてありません。

 

むしろ何もせず、ゆっくりするときです。ゆっくりする日です。何もしないDayです。

 

こんな時に、何か無理に何かを考えようとしても、ろくな考えにならず、そして、たいていネガティブな事ばかりになって、自分を良い感じにしてくれません。

 

そして、何も良い事が自分に残らないばかりか、無駄な思考により残らなくてもいいようなマイナスの思考の断片が残ります。

 

そんな事になるくらいなら、何にも考えない。そんな日があったっていいんです。

 

最近、ちゃんと休んでいるんだろうか。疲れが取れない日々を過ごしているんじゃないだろうか。

 

そのように、自分に問いかけて、疲れている自分に気付いてあげるんです。きっと疲れています。休みを必要としてします。

 

休みが必要なのに、自分のそのような気持ちを無視してしまっています。自分で自分の尻を叩いて、何かをさせようとしてしまっています。

 

自分をちゃんと見てあげないといけません。自分は疲れている。休息を必要としている。

 

だから、何もしない。何もやらない。何も考えない。そんな日があっていいんです。そんな日を作っていいんです。

 

そんな自分を許してあげるべきだし、許すも何も、ただ何もしない事を認めてあげればいいんです。そういう日をちゃんと自分に作ってあげる事で、また明日何かを始めます。何かすべきことを始めます。そして、考えるべき事を自然と考え始めます。